首里城がよみがえる~悲しみの火災消失から2年いよいよ始まる復元への歩み

首里城がよみがえる~悲しみの火災消失から2年いよいよ始まる復元への歩み

夜空を染める紅蓮の炎に慟哭した日から2年余りの歳月が過ぎた。火災で焼失した沖縄の首里城が、来年2022年の復元工事着工へスタートラインに立った。

正殿など消失した大火災

首里の城下町を見下ろす高台にある首里城。2019年10月31日、正殿内部からの出火によって、正殿はじめ9つの施設が消失した。琉球王朝の象徴でもある首里城、歴史や文化を物語る美術工芸品も被害に遭い400点近くが火の中に消えた。そんな焼け跡では、焼け落ちた赤瓦などの撤去も、長い時間をかけて終わった。世界遺産に指定されている17世紀以前の「遺構」の保護も終え、復元工事用の資材を運び込むための仮設道路も整備された。

「首里城公園・世界遺産の遺構」提供:沖縄美ら島財団

復元への寄付金も続々

「首里城公園・焼け残った大龍柱」提供:沖縄美ら島財団

首里城を復元するため、多くの寄付金も集まった。「沖縄県首里城復興基金」には、県内、県外、さらに海外からも寄付金が寄せられて、2021年10月末までに53億2575万円余りが寄せられた。そのスピードと金額は、首里城の消失がいかに多くの人たちの胸に悲しみをもたらしたかの証しとも言える。この内の半分近い24億円は、まず正殿の復元に充てられる予定だ。

復元への歩みは?

「首里城公園・火災跡の展示」提供:沖縄美ら島財団

その正殿の復元工事は、いよいよ年が明けた2022年にスタートする。建設に伴う木材を保管して加工する倉庫が作られ、春には工事の実施設計がまとまる。秋までには正殿工事の足場も組まれて、着工となる予定だ。完成予定は2026年で、正殿の完成後は、同じく火災で被害を受けた北殿や南殿の復元へと進んでいく予定だ。

首里城の「見せる復興」

「首里城公園・展望デッキ」提供:沖縄美ら島財団

首里城メインの入り口である「奉神門(ほうしんもん)」から北側にかけて、全長140メートルの見学デッキが完成した。公園スタッフが、工事現場の様子や再建の予定などを案内する有料の「ぐるっとツアー」も始まった。実はこれは、首里城がよみがえる様子を、どんどん多くの人に見てもらおうという取り組みなのである。火事で焼失する前の建物は30年前に復元されたものだったが、この「平成の復元」工事は非公開だった。しかし、今回は“見せる”。YouTubeやFacebookでの発信も行われる。首里城の「見せる復興」。その目指すところは、沖縄の人たちはもちろん、県外そして海外の人たちに、首里城がよみがえるプロセスを見てもらうことで、あらためて琉球の歴史や文化を再認識してもらいたいという思いである。

防災対策も万全に

「首里城公園・展望デッキ」提供:沖縄美ら島財団

今回の火災の時、首里城にはスプリンクラーは設置されていなかった。文化財保護法に設置義務はなく、そもそも消失する前に首里城は復元された建物のため、文化財に指定されていなかった。新たによみがえる首里城には、新しくスプリンクラーが設置される。また、火災の時に敷地内にある門が開かず、消火活動が手間取った反省から、城門の自動解錠システムによって一括管理も可能になるという。「悲しみを二度と繰り返すまい」復元に関わる多くの人たちの願いがそこにある。

沖縄の“心”を紡いでいく

「首里城公園・展望台からの風景」提供:沖縄美ら島財団

沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉がある。「一度会ったら、みな兄弟」。
人に優しい沖縄らしい言葉なのだが、今回の「見せる復興」の根底には「いちゃりばちょーでー」の心がある。工事を受け持つ人たち、それを見守る人たち、そして寄付金によって再建にエールを送った人たち、多くのひとたちの思いを結集しながら、この復元プロジェクトを進めていこう。いかにも沖縄らしい、力強い歩みではないか。

悲しみと希望を足場にして、再建への道はまもなく本格的にスタートする。首里城の復興への歩み、その足音は遠く離れた私たちのところにも確かに届いている。沖縄の空に向けて、心からのエールを送り続けたい。
          
【東西南北論説風(298)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

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