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episode 10

「ヨッコイショういち」の横井庄一さん、

「甥」が明かす「叔父」横井さんのこと

横井さんの帰国会見「天皇陛下様に頂いた小銃は持って帰ってまいりました」(1972・2・2)

残留日本兵・横井庄一さんの取材で出会った一人の男性。

横井さんの「甥」で、大阪女学院大学の国際・英語学部教授の幡新大実(はたしん・おおみ)さんに「叔父」横井さんとの想い出を教えて頂くことに。

普段、学生と接して感じる幡新教授ならではの切り口で文章は進んでいく。1966年生まれの教授は、「いまの若い人たちが横井さんに興味がないかと言えば、そうではないようだ」とのこと。

幡新さん提供 横井さんの書「和」

“立派すぎない兵隊さん”のジャングル生活における28年の苦労話は、普遍的・・・に多くの人の胸を打つようであるとのこと。

幡新教授の寄稿文…前回の『「ドラえもん」に登場した?横井庄一さん。「甥」が残留日本兵の「叔父」について証言』の続きから以下に書き記していく。

「横井さんとの想い出」② 幡新大実

横井さんがグアム島から帰ってきて50年もの年月が経つと、さすがに名前も聞いたことがなくて普通です。

「ヨッコイショういち」というおやじギャグを割と小さい子が口にするのを聞いたのも、それも今は「昔」です。

今の大学生は、ちょうど私の世代から見れば、子の少し下くらいの年代ですが、思わぬことで私も「近現代史を教えて」と言われているので、その中で横井さんに関する最近の番組を見てもらったところ、これまで学生たちの口からはっきりとは出てこなかったことが出てきました。

幡新さん提供 横井さんの書「佛心」

1万日以上のジャングル生活を耐えた「根性」はいまも届く

日本の過去の戦争についての教育を小さい頃からたくさん聞かされてきて、「基本、自分は愚かな過去から学ぶことはない」「前向きに生きるんだ」と思って大きくなっている学生が少なくないのです。

別に自分で知りたいと思って勉強したわけではない。広島だとか長崎だとか、そういう過去の悲しい、残酷な出来事に遭った人の話を聞く機会は、これまでにもそれなりにあった。

だから、そういう話は少なからず聞いてはきたものの、基本的な意識として「もうたくさん」「自分が学ぶことは何もない」「うしろを振り返るのではなく、前を見て生きるべきだ」というわけです。

ところが、横井さんという個人の話だと、少し話の入り方が違うのか、そもそも最初から持っている「そっち系の話はもうたくさん」という抵抗感をあまり感じないで最後まで番組をみることができたという感想が散見されました。

少し時間も縮めてテンポのよい番組が出来ていたので、その編集が上手だったのかもしれません。

幡新さん提供 横井さんの書「寿」

「立派すぎない兵隊さんだから学生に受け入れられるのかも」

細かいことをいうと、例えば、横井さんは、戦争が終わったことを知らなかったのではなく、分かってはいたが日本軍が現地の人に対してしたことで現地の人が日本兵を恨んでいて降伏しようにも降伏できなかったとか、横井さんは寝ていても本当に眠っているときには出る脳波が出ていなかったとか、色々な放送局それぞれの番組のメッセージがよく伝わっている学生とそうでない学生と、どちらもおります。

ただ、おそらく横井さんという人が、決して「立派過ぎる」人ではないことも学生たちに「もうたくさん」とは感じさせなかった原因の1つかも知れないと、私は感じました。

もちろん、死んだ方がはるかに楽な環境で、1万日以上も生き抜いた根性は「すご過ぎる」のですが、横井さんはどちらかというと同情を誘ったように思います。

横井さんのお話が、ちょっといわゆる戦争ものと異なるというのは、私がその著書『明日への道』(文藝春秋・横井庄一 著)の英訳に帰国後の様子を加えた版をイギリスで出版したときにも出てきた反応でした。

向こうには、たとえばベトナム戦争で奥地に送りこまれて「行方不明」になったアメリカ兵の壮絶な「サバイバル」物語などもあるのですが、そういう話とは何やら展開が違うというわけです。ちなみにグアム島でも日本軍に占領されたあと、洞穴に隠れてアメリカ軍が帰ってくるのを待っていた米兵がいました。

戦友2人と喧嘩して洞穴での同居生活をやめた横井さん、そして…

横井さんがジャングルで手作りした服

どう違うかというと、横井さんの話は、戦友が足にケガをしないように靴を作ってあげようとか、戦友が食べ物を探しに行っている間にいろいろ工夫してご馳走を用意するとか、服を作ってあげるとか、日常生活の端々に人間的な「温かみ」や「ぬくもり」が感じられるというのです。殺伐とした米兵の物語とは異質であると。

もちろん「人間の愚かさから」戦友と喧嘩して、あとの方になると志知幹夫さんと中畠悟さんの住んでいた「穴」から少し離れて、横井さんひとりだけ別の「穴」の中で生活していたくらいはありましたが、助け合っていたことは間違いありません。

洞穴内で亡くなっていた戦友・志知さんと中畠さん(「よこいしょういちさん」(ゆいぽおと)より 絵・かめやまえいこ)

横井さんが亡くなるときも、「一緒に日本に帰りたかったなあ」と二人に語り掛けていたと、叔母が証言しております。学生からすれば、どちらかというと「かわいそう」と思う人なのでしょうね。

世の中、横井さんのそういうところを嫌いだとあからさまに軽蔑する人達もたくさんおられますが、そうでない人もいます。

戦友・志知さん、中畠さんの亡骸に合掌(「よこいしょういちさん」(ゆいぽおと)より 絵・かめやまえいこ)

戦地で人間以下の扱いを受けていた兵隊さん

日本の軍隊は、天皇の威光を輝かせるために戦う軍隊として将校は強い特権意識を持っていたと思います。

しかし、横井さんは、豊橋の花井洋服店で丁稚奉公して、御主人の誘いを敢えて断って独立し家庭を持とうとしていた矢先に、いわゆる今でいう日中戦争のために赤紙一枚で招集された人でした。

ご本人が語っていないことで、帰国後の診断カルテからわかることは、不遇だったこどもの頃の骨折がたたったのか、徴兵検査は乙種でした。

*太平洋戦争終結までの日本では、20歳に達した成人男子は全員徴兵検査を受けることが義務。身長、体重、病気の有無が検査された。合格し即入営となる可能性の高い人の判定区分が「甲種」で、合格の目安が身長152センチ以上・身体頑健であること。甲種に満たない順に乙種・丙種とされた。

横井さんのカルテ(保管:国立東京第一病院)

その職業を買われたのか、輜重兵(しちょうへい)、つまり兵隊の衣食住の世話や武器弾薬を運ぶ後方支援要員として動員された人でした。

日本軍の中では「牛馬に劣る輜重兵」といわれ、物を担ぐ力が牛や馬より劣るからですが、まさに最底辺の存在でした。

人手不足で歩兵連隊に配属されると、歩兵たちから「輜重兵なんかと一緒にするな」と怒りが噴出し、アメリカ軍の上陸ではじめて戦闘任務が与えられても、与えられる銃弾は少なく、まさに「人間以下」の扱いを受けてきた人でした。


そして、横井さんと最後まで一緒にいた志知さんは衛生兵、中畠さんは海軍に雇われた民間人、軍属でした。この3人、「戦って死ぬ」ことがほまれの日本軍の序列の中では、かなり隅の方の面々だったわけです。

これが偶然だったのか、必然だったのか、私には、偶然ではないような気が致します。

幡新大実

横井さんの命日は1997年9月22日(名古屋市内の墓)

かの国のおろかな戦いをしている悲しき人たちの「今」

幡新教授の上記の文章から、私がこれまで制作した番組も学生さんたちが視聴してくれたようでありがたい。

ドキュメンタリー番組を放送すると「なんで今、放送するの?」という批評家の声を頂戴する。番組コンテストの審査員の先生方がおっしゃる“あるある発言”でもあるのだ。「なんで今なのかな~、今やる必要あるの?」と、別に知らなくてもよかったと言いたげな顔の人に出会ったことがある。間違った指摘ではないと受け止めはするが、「なぜ今?」と聞かれるむなしさ。

「今、大事だと思ったから」「今お伝えしたいと思ったから」と言いたいのが本音。「それでだめですか?」と言いたくなる。

では、横井さんに焦点をあてた番組を放送した「今」の理由は?と聞かれると、帰国から50年というタイミングのこともあれば、言い尽くされてきた中で、「今」横井さんを知らない人たちが多くなってきて、どう感じて頂けるかを期待したからである。

いずれにしても、横井さんから学べる普遍性に「今」も「過去」も「未来」も関係ないと個人的には感じているので放送したいと思った次第。

いつの時代に放送したとしても横井さんの生きざまから感じとれることが、その時代その時代で違ってくるように思える。ことさら「今」の追及は無意味ではないかと横井さんについては思ってしまう。

横井さんの墓 (「よこいしょういちさん」(ゆいぽおと)より 絵・かめやまえいこ)

横井さんが亡くなって今年で25年。
遺言の一つは、「平和の尊さを伝えてほしい」ということと、「ジャングルで自分の命を支えてくれた小動物たちを供養してほしい」ということだった。

妻の美保子さん(94)は、横井さんの墓に小動物を供養する碑をたてている。こんな墓は世界を探してもないわけで、28年の原始生活を送った人でなければ妻に託せない遺言だ。

横井さんがジャングルで着ていた上下(名古屋市博物館 所蔵)

ウクライナを戦地としてSNSを使った情報戦も展開され、戦いの様相は太平洋戦争時とは大いに異なるものだが、なぜ「今」傷つけあわねばならぬのか・・・愚かしい。

無意味な戦争を2022年に目にすることの驚きと、ばかばかしさ。横井さんが生きていたら、なんと言ったのだろう…。「今」

CBCテレビ 報道部 大園康志

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