episode 9
「ドラえもん」に登場した?横井庄一さん。
「甥」が残留日本兵の「叔父」について証言
取材の中で出会った幡新大実(はたしん・おおみ)さんは、大阪女学院大学の国際・英語学部教授であり、横井庄一研究者であり、横井さんと妻・美保子さんの「甥」である。
これまで、横井さんの著書の英訳本を出版するなど、世界発信は幡新さんによるものが多い。その幡新さんの父親が、美保子さんの兄という間柄なのだ。
現在、高齢の横井美保子さん(94)のサポート役でもいらっしゃる幡新さん。横井さんのカルテ開示でも大変お世話になった。感謝にたえない。
今回、幡新さんから「横井さんの想い出」を寄稿していただいた。以下、原文のままお伝えすることに。
幡新大実
叔母が横井さんと結婚したときに、私はまだ保育園の年長さんで、両親に連れられて結婚式に出たのだろうと思います。
たしか2階席から式典を見ていたような記憶がかすかにあるのと、横井さんが父のところに挨拶に来られたときの様子を覚えています。写真は、その頃の写真だろうと思います。
小学校にあがって何年かしてから、たしか『ドラえもん』か何か、こども向けの番組だったと思いますが、横井さんが出てくる回がありました。
朝起きて、何時から何時までは食べ物を探してきて、何時から何時までは「せんそう」、何時から何時は料理をして、ごはんを食べて、何時から何時は機を織って、何時には寝るみたいな生活をジャングルで送っている日本の兵隊さんが出てくる場面です。
私の父は、あとでわかったことで学徒動員、特攻隊の生き残りでしたが、どちらかというと学童疎開の経験者である母の方が、そんな風にジャングルで鉄砲を持っていつまでも「戦争」していたのは、横井さんではなくて、小野田さんの方よと諭していたように思います。
「私はテレビに無事に出ることなく大きくなれました」
一度、小学校3年生の頃に従姉と弟と一緒に名古屋まで遊びに行きました。著書の『明日への道』を読んでみると、横井さんは、どうやら「いじめられっ子」だったようですから、弟のことが大変気になったようでした。
何も言わなくても見ただけで分かる人でした。横井さんも本当はこどもが欲しかったのだろうと思います。両親のそろった家庭で育つ機会のなかった人でしたから、なおさらです。
私はというと、世の中では自分が「横井さんの甥」という見られ方をすることも、小学生の高学年の頃や、高校に入った頃などに、先輩の家などで、忘れた頃に時々ありました。その程度で、普段、ほとんど意識することなく生きてくることができました。
テレビはもっぱら視る方で、無事に出ることなくここまで来られたのは、今になってよく考えてみると、横井さんや叔母の計らいという面もあったのかも知れません。
結婚式は甥の幡新教授が6歳の年に…
叔母が横井さんと結婚したのですから、下手をすると、とても平穏な日常生活はあり得なかったかも知れません。
私は、横井さんが叔母と結婚したときには幼な過ぎて、どちらかというと父が横井さんのニュースを聞いてひたすら興奮していたのを見て育ちました。
足掛け28年も時計もないのに月の満ち欠けだけで計算していた「横井カレンダー」が半年程度しか違っていなかったとか、常夏の島だから季節感がないのは仕方がないとか、言葉も字も忘れていなかったとか、日本の飛行機が飛ばなくなったから日本が負けたことは分かっていたとか、週刊誌の値段を見ただけで日本のみじめな貨幣価値の暴落に気づいたとか、それでいながら高度経済成長に酔って新幹線を自慢する現代っ子に「石油が止まったら、どうするんですか?」と逆に問い返す横井さんの姿をみて、「物の本質の分かること、超一流」といって、心から感服していたのを覚えています。
「父は横井さんに畏敬の念を…」
叔母は、あまりそういうことには関心がなかったようで、まさか自分がその横井さんと結婚することになるなどとは、夢にも思っていなかったそうです。
父とはまったく無縁のところで叔母は横井さんに出会いました。そのあたりのことは、当時の私は気も付きません。
父は私の世代にとっては祖父くらい年が離れておりましたが、それでも横井さんの方が父よりかなり年上でした。
しかも、その父が横井さんという巨大な存在に畏敬の念を抱いておりましたから、私にとっては同じ「おじ」でも「伯父」の字を書いたことがあります。
叔母が、自分は(私の父の)妹だからその夫の横井さんは「叔父」だというのですが、しばらく違和感が残って消えませんでした。
今は私も結婚して子宝にも恵まれておりますので、そうして、ふと思うのは、横井さんが生きてグアム島から帰ってきて下さったおかげで当時44歳の叔母も救われたし、私の母も救われて、横井さんは、ほんとうにわが家を救うために帰ってきて下さったと思います。いくら感謝しても感謝しきれません。
(終わり)
以上が、横井さんを子供のころから見て育った幡新教授の「甥」としての目線で書いていただいた第一弾。このあと、さらに文章は続くが、また後日お伝えしたい。
横井さんの名古屋帰郷50年の日が徐々に近づいている。
CBCテレビ 報道部 大園康志