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episode 8

残留日本兵・横井庄一さんに医師団が聞きたかったこと

横井さんの暮らした「穴」断面図(CBCテレビ製作)

ジャングルの洞穴から日本に帰国した残留日本兵・横井庄一さんの国立東京第一病院での入院生活が2週間もたつと、睡眠も少しずつとれるようになってきたようである。

当初は1・5時間から2時間の睡眠しかとれなかったので、大部、本来の姿を取り戻しつつある段階に入ってきたと言える。

横井さんの「穴」での完全孤独生活は8年

医師団にしてみれば、28年もの原始的生活を送った人の体と心がどうなっているのかは研究対象として興味深かかったというのは容易に想像がつく。そうした医師団の思いもカルテには散見される。

洞穴の模型(横井庄一記念館)

では、見つかった“横井さんのカルテ”を以下抜粋しながら話をすすめていく。これまで私たちの放送では伝えきれなかった“横井カルテ”の細かい部分について記していきたい。

医師はジャングルでの性的問題について意を決して…

2月16日のカルテにはこんな内容を医師団が書き留めている。

昨夜11時前から今朝5時すぎまでの6時間少しの睡眠。横井さんは、まず落ち着いておられるが、手紙の整理で過ぎていく。

本日午後、面接をした内村先生に御意見をうかがうと『前に診たときよりも声も低くなり、落ち着いている。そして、年齢相応の態度がとれているようだ』ということだった。

グアム島での話をいろいろ横井さんは話してくれるが、新しいことについては知ろうとしないという。また、グアムでの話は割に近い時期のことが多いとも書き記されている。

なお、医師として尋ねてみたいこととして、【信心の問題】があるとも医師団は語り、次のようにカルテには表記されている。

「横井さんは信心深い人なのか、何かを信じて自分にやすらぎを得ようとしていたのか。また、潜伏中に読経のようなことしていたのだろうか。大事な話として聞かなければいけないことだ」

そしてカルテにはこんな内容が続いている。

「性的問題はどうだったのか?26歳で軍隊に入るまでに性的体験の有無については、仮に無しとすれば、グアムで暮らしている間はどうしていたか。そのための苦しみがなければないでいいのだが、兎に角尋ねておかねばならぬことだと思う。

さらに感情体験についてだが、一人でいる時、孤独時の心境はどうだったのか?その心の移り変わりはどうだったのだろう?例えば月を眺めて感じたことなどはあるのか?横井さんが1人になったときに考えていたこと、空想したことなど感情面のことを聞くことはこの入院中に大事なことである。

また、今後のことだが、横井さんにとって、新しい状況が身の回りでおきてきたら、それは積極的に教えていくようにするべきではないか」

このように、医師団は聞きにくいこともあるが、しっかり細かく面談で聞いていくべきという方針でいた。

横井さんを待ち受ける国立東京第一病院スタッフ

2月16日のカルテはさらに…

「夕方5時半から横井さんの面接をした。看護師と相変わらず手紙の整理を続けている横井さんだが、結構看護師に対してはユーモラスに言い返したり、口達者に面白く話している」とのことで、医師と看護師の前で横井さんの対応が違っていることを医師団は共有事項としていた。

さらに、横井さんが、粘着テープ、ボールペン、伊勢丹、大丸などグアムでは使ったことがないはずの新しい単語をいま、病院内で自然に用いているのが驚きだということも記していた。

2月21日のカルテ

午後8時に横井さんの体重計に乗ったようで、54.8Kgを示した。アメリカのニクソン大統領が中国を訪問している様子を伝えるテレビに横井さんはほとんど関心を示していないということと、横井さんが「昼間はおひさま、夜は星が見ているので 悪いことはできんよ」と言ったことがメモとして書き留められている。

「信仰」で苦難を乗り切れる?潜伏中の様子を尋ねた…

20代後半からの過酷極めたグアム島ジャングル暮らし

2月23日のカルテ

この日、横井さんは大分落ち着いて話をするようになったが、なお、自分本位の話が大部分だとのこと。

そして、この先のこととして横井さんから医師に話し出したことが書き留められていた。

「自分の直感では大阪からの手紙をくれた女性がいいように思う。市役所か区役所かに頼んで身元調査をおねがいすればわかるでしょう」「自分の映画を作る話があるが1回だけ出てお金をもらおうかとも思っている」

なんとも、生々しい話である。見合い話は入院中に数多く舞い込んできていたようだ。

一方、医師側の質問に答えてくれたこととしては以下の通りだ。

「御嶽山信仰は母親がしていて、自分も小さい頃から親しんでいたが、それ程熱心な信心という程でなかった。グアムで生活をする中で、この御嶽山信仰が心の支えになったことはあるにはあるというが、格別強調される程のものでない。特に読経のようなことはしてこなかった」と横井さんは答えたということだった。

*おんたけさん(岐阜と長野の県境の御嶽山のこと 山岳信仰の山)

御嶽山(標高3067mの火山)

目に入る物が日本字に見え、横井庄一、横井庄一…

2月23日のカルテの続き

この日の午後6時から7時に横井さんは1人で入浴、夕食を済ませていた。病室を訪ねると「今夜は眠剤はなし」ということから会話がはじまり、「グアムで収容された病院では眠剤を飲まされても効かなかった。つよい注射もうたれた」と話している。

また、グアムの病院での出来事として「あの頃は多分、病院に収容されて3日から4日たったころだったと思うが、日本に帰ると決まっていたが、亡霊に悩まされ、頭の中がおかしくなりそうだった」と話している。

具体的には「目に入る色々な物が日本語の文字に見えて、横井庄一、横井庄一…と見える。どこからか声でも呼ばれ、『銃殺する』という声も聞こえてきた。人と話していれば字が見えたり声が聞こえたりしないのだが、そういう現象がおきるのは日中より夜に多かった」と答えていた。

母親のことに話題が及ぶと、横井さんは泣き出した

横井庄一さん

2月24日のカルテ

「グアム島で約10年前のこと。風台風に襲われた前に戦友の志知と中畠と3人で、現地人と撃ち合いし、志知、中畠が相手を撃ち倒した。かかる撃ちあいは何回もあったが、この時、中畠はここ(右尾翼)をやられた」と書かれている。

日本兵と島民の打ち合い…あってはならないことが起きていたのだ。ウクライナとロシアのことが私の頭をよぎった。

グアム島での戦友の志知幹夫さん、中畠悟さんの遺骨と帰国した横井さん

2月25日のカルテ

この日に面接した内村先生の御意見として以下が書かれている。

「横井さんは信仰については、かなり強いものをもっていたと考えてよいのではないか。まだ判断の愚鈍なところがある。

また、グアム島での体験について聞いていくと、割に淡々とした所がある。性、セックスについて問われても『意味が分らない』と言うので『男女間関係はどうだったのか?』と言い換えて聞くと合点がいったようで『そのようなことで悩んだことはない』という」と記されている。

さらに、話が横井さんの母親のことにおよび面接終了後に泣いてしまったようだ。医師が病室から出ていくと、横井さんは「今の先生は精神科だろう?」と看護師にたずねたという。

その看護師たちからの情報では看護師と話す時の方が方言が多くなる。医師が病室に来ると、やはり態度が違っているとのことだ。そして、医師らが驚いていたのは以下のことも。

「慣れぬと思われる家具、器具等にたじろぎも戸惑いもなく平気でさっさと扱われる所がある」と、いうことだった。

名古屋に帰ってきた横井さん(1972年4月25日)

1972年4月25日は熱狂の名古屋に!

横井さんは、28年のジャングル生活で最後の8年は完全なる孤独生活。
20代後半から50代半ばまでの人生の一番力みなぎる時にアメリカ軍と対峙し、終戦を日本からは知らされず、国の命令に愚直に従い、恋することもなく、母を想い、日本の家族に迷惑をかけてはならぬと逃げるしか方法はなかった横井さん。

そのジャングル生活中は、当たり前だが、病院にかかることもなく、時に体中原因不明のしびれに襲われたり、のたうちまわるほどの腹痛に襲われたりと、どれだけ不安な日々だったろうと思う。

難局をひとつひとつクリアして「命を懸けたかくれんぼ」を続けた日々。心からご苦労様とお伝えしたい。

カルテの記録では院内で抜歯した歯は8本

そして、56歳で帰ってきて、体へのダメージはあちこちに見られ、胸部には骨折跡が確認され、胃の不調も分かった。また、皮膚へのダメージ。歯へのダメージ。また、心の問題も。

研究者らにとっては、サンプルとしての興味は多分にあったと思われるが、横井さんに社会復帰してもらうには丁寧な診療が長く求められることがカルテには記されている。

退院後に戦友・志知さんの家族に報告する横井さん(岐阜・大垣市)

結局、入院生活84日で退院することにはなるが、院内で見るもの触れるもの全てが初めてなものばかりのはず。しかし、横井さんはすぐに使いこなせるようになるなど対応する力に長けていたことが医師たちの言葉からわかる。

横井さんがふるさと名古屋に帰りついた日から、ことし4月25日でちょうど50年になる。

CBCテレビ 報道部 大園康志

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