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episode 5

これが横井庄一さんの隠れた「穴」の“断面図”

~“原寸大”を前に小学生たちも息を飲む~

「ものづくりの現場は素晴らしい!」と感じることが多々ある。
CBCテレビの一番大きなスタジオに1枚のボードを搬入。なかなかに立派だ。
美術スタッフは、これをあっと言う間に仕立てるのだから、やはりプロは凄い。
餅は餅屋で、映像をつなぐ私たちの「作る」とは違い、データをこんな方法で変換する技は見事なアレンジ力だと感心させられる。
横井庄一さんの「穴」のスケールを感じてみよう!ということでCBCの一番大きなスタジオに設置する運びになった。参考にしたのは横井さんの著書など。

CBCホールに設置!巨大な「穴」の断面図

横井さんの著書「明日への道」(文藝春秋)は、横井さんが帰国直後から「1冊の本にグアムの戦況のことをお知らせしたい」と話していた通り、彼の「ジャングルで生きた証」だ。
妻の美保子さんも「これが一番私のお気に入りの本なんです」と話す。
いまやインターネットで古書を探すしかないのだが、なかなか読み応えがある。
「穴」についても詳細が記されている。そして、私たちの先輩が残してくれた記録映像も見ながら作った断面図は「実物大」…迫力あるものとなった。

子どもたちに見てもらった横井さんの穴の「断面図」

1972年。横井さんの生還を知った日本中の子どもと大人たちが「どうやってジャングルで生活できたの?」という大きな疑問を抱いたわけだが、横井さんを含め、グアムのジャングルで生き延びた残留日本兵たちの証言によると、概ねは「そのままジャングルの中で身を横たえて寝る」ということだ。
しかし、アメリカ軍や島民の目から逃れるためには洞穴に入るということが自然。
雨風のことを考えるとなおさらそうなるだろう。
ただ、台風が直撃するグアムの自然のすさまじさは、残留日本兵を死に追いやるものだという証言も。
横井さんは、年下の戦友・志知幹夫さんと中畠悟さんとともに20年、ジャングルで暮らした。しかし、この2人の戦友を巨大台風の直撃後に失っていた。

横井さんは戦友の遺骨と帰国(1972年2月2日)

そして、アメリカ国立公文書館の所蔵する記録映像は生々しい。
日本兵が身を隠していると思われる洞穴の中に手りゅう弾が投げ込まれたり、火炎放射器で火あぶりにする様子が残っている。
これが本当のことだとは信じがたい恐ろしい映像なのだ。
ジャングルで日本兵が生きていくのは並大抵ではなかった。

手りゅう弾を「穴」に投げ込む米兵 提供:米国立公文書館

横井さんは、ジャングル生活28年のうち発見されるまでの最後の8年を全くの一人で生きた。それがこのような「穴」でだ。
「グアム島のジャングルでサバイバル生活しなさい」という命題を与えられたら、それだけでも相当な困難だが、命を狙われる中で暮らし続けるのは“知力・体力”が備わっていないと無理。
それをさせてしまう“軍人教育”の凄さを、この「穴」の断面ボードを見るにつけ、感じてしまう。戦いで負けてもどこまでも身を隠しながら逃げるという精神。恐ろしい。

道具がない中で、地下3メートルまで掘れる?

横井さんの「穴」は一番深いところで3メートルは掘り進めている。
換気口や井戸、トイレも。
穴の入り口は普段は草で隠し、息を潜めての暮らし…。
居住スペースとしては、高さ1メートルあまり、奥行き3メートルといったところ。
妻・美保子さんも「人間が住むようなところではない」と、1973年に実際に訪問して話している。

横井さんの生活した「穴」の入り口

横井さんの暮らしの一端を知った現代の子ども達も驚く。
「木から糸を作り服にして着ていた横井さんは、いまならブランドを作れるのでは?」「めっちゃ売れると思う!」と、ジャングルで手作りして着ていた服の仕立てに感動。
針も糸もない中でどう仕立てたというのか…。

横井さん手作りの服(名古屋市博物館所蔵)

中京大学4年の石井七瀬さんは、名古屋市にあるラジオ局のナビゲーターとして、そして、声優としても活動している。高校まで広島県で過ごした。
20代前半のオピニオンリーダーに「横井さん」をテーマに話を聞くことが出来た。

広島出身 中京大4年の石井七瀬さん

石井さんは去年、過去の話を未来につなげていく平和教育はどんな形がいいのか?
そのことをテーマにラジオドキュメンタリーを制作している。
広島にいた子どものころ、かわり映えしない平和教育を(おしつけがましい)と感じていたと言う。授業の後のクラスみんなの感想がいつも一緒というのも気持ちが悪かったようだ。
「原爆は怖い」「戦争はいけない」一様にそう話すのがお決まりのパターンだったと言う。
(本当にみんなそう?)(正解は一つではないと思うけど)
そう感じながら高校まで広島で過ごした。

石井七瀬さん「未来につなぐための平和教育はどうあるべきか?」

石井さんの作ったラジオドキュメンタリーのタイトルは、「The Voice of Generation Z ~Z世代が問う原爆と平和教育」。
戦後76年の去年、日本民間放送連盟賞のラジオ教養部門で「優秀」と認められた。
実は、広島県から愛知県に来て驚く体験があったという。
友人と中部国際空港から発着する飛行機を近くで見たときのこと。
低空で飛ぶ飛行機を見た友人が「B29じゃん!やっべ~死ぬ」と冗談めかして言ったことだ。
その種のことを冗談でも言える人は広島にはいない。
(平和教育にはうんざり)とは言え、言っていいこと、悪いことはわかる。
(なぜ、そんな冗談を言えるのだろう?)と強く思ったそうだ。

「B29じゃん!」は広島では冗談にならない・・・

石井さんは、平和教育が悪いことだとは思っていない。
「戦争をイメージできる世代の皆さんと、全く戦争からかけ離れた自分たち以下の世代とのギャップはうめるべき」だと思っている。そのためには「継承」が大事だと言う。
戦争の想像がつかない世代の人でも過去の戦争の話は知っておくべき。
未来に向けた平和の話は大事。自分事として考えていくことが大事だと感じている。

伝説の名古屋人・横井庄一さんを「知るべき」

横井庄一さんについての映像を見た石井さんの感想は「今の人たちでは考えられない価値観を持っていると思った。
横井さんの『恥ずかしながら生きながらえておりました』は、『生きていてすいません』と聞こえる。
横井さんの身内なら生きて帰ってほしいと思ったはず。聞いてて悲しくなりました」

横井さんのことはSNSでよく流れてきたので、これまで全く知らないわけではなかったという“Z世代”の石井さん。最後にこう話してくれた。
「戦争がどれだけ人をゆがめるかを知った。洗脳というべきでしょうか。
今の私たちが想像できない戦争の恐ろしさや、戦争が人権を奪うものだと伝えてくれる人が『映像の中の横井さん』だと思います。
平和教育がとても盛んな広島に暮らす人たちにも『原爆』のことだけでなく、横井さんのことも知って頂きたいと強く思いました」

横井さん帰国で熱狂したあの日は、50年前

大学時代に「お前ら“新人類”だからな~」とアルバイト先の大人たちに(理解が難しい世代)という声をもらったのが私たち、昭和40年の学年。
有名人では、沢口靖子さん、小泉今日子さん、中森明菜さん、香川照之さん、本木雅弘さん、太田光さん、古田敦也さんらがいる。
理解できない若者たちと見られ、大人たちに小ばかにされてはいたが、知ってて当然の横井庄一さん。戦争の怖さを1972年に一度学んでいる。

全ての世代の方々に、改めて横井さんの凄さと戦争の悲劇を知って頂けたらと思う次第。
2月2日で帰国50年となる。

CBCテレビ 報道部 大園康志

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