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episode 4

残留日本兵・横井庄一の暮らした「穴」に潜入

~撮影したカメラマンが語る“超人伝説”

横井庄一さん発見は1972年1月24日。帰国はその年の2月2日。
CBCテレビは地元・名古屋の放送局として大きく報じていくことになった。

横井庄一さん羽田空港に帰国 このあと騒動が加熱

現在80代の大先輩・Kカメラマンが去年、ふらっと私たちの報道フロアにいらっしゃった。Kカメラマンは横井庄一さんがジャングルで生活していた「穴」に入って撮影した方である。CBC永久保存の貴重映像の一つだ。
発見の翌年、1973年3月に横井さんは妻・美保子さんを連れてグアムを再訪している。「御礼の旅」だったという。

横井さんがジャングルに掘った穴の入り口

Kカメラマンはこの時、他社の取材陣とも一緒に2人に同行した。いま、私たち後輩はその時の映像も含め、横井さん関連の貴重な映像の数々を、資料映像として視聴できる。現在の報道部員は、発見・帰国から50年という年にテレビ画面にその姿を蘇らせることが出来るタイミングに生きているわけである。「すごいな~」と言いながら、気楽に編集機の前で横井さんの一挙手一投足を目にしているわけだが、当時の先輩方のご苦労には心から感謝している。

すでに鬼籍に入られた先輩方の取材リポートも印象深い。「御礼の旅」のころの横井さんの映像は、顔の色つやも大部本来の状態に戻ったと見える。こけていた頬も幾分ふっくらとし、「恥ずかしながら生きながらえていました」と帰国会見で言った時のあの顔より、サイズが一回り大きく見える。ジャングル28年の過酷さを感じることができる。

1972年4月25日に帰郷した時に、横井さんを名古屋市中川区の実家で出迎えた親戚の男性の一人は、当時のCBCのインタビューでこう話している。「庄一さんの手に驚いた。ゴリラのような手になるんだね。あんな感じじゃないとジャングルで生きていけんのだろうね。握手したけど凄い手だったわ」と、28年を堪え忍んだ「手」に驚愕している。細かなエピソードになるほどと思う次第。

そして、テレビでは決して伝わらないのが匂いや温度、湿度。その場に身をおいた当事者でなければわからない。
「穴」の状況もそうだ。

横井さんが暮らした穴の中(1973年3月撮影)

横井さんがジャングルで暮らした穴。縦2メートル・奥行き6メートルで、居住スペースのサイズはもっと小さく、1.5メートル×4メートルくらいと見られる。近くの小川に通じるトイレまで横井さんは「穴」の中に作っている。

妻・美保子さんは、「御礼の旅」の際、その穴に入った時の感想を話してくれた。

「とても損傷が激しく、こわごわ梯子を使っておりました。湿度が高くて匂いもあって、到底人が住めるような場所ではないと思いました」

グアム再訪の横井さん(1973年3月)

この時、同行した記者団もジャングルの手前の草原まで、滞在していたホテルの前からヘリコプターで移動。現地の人がピストン輸送してくれたという。しかし、ヘリコプターの搭乗定員があるので、記者団はじゃんけんをして順番に乗ることに。

横井さんの「穴」を見学したあと、帰るだんになったとき、取材陣で行ったじゃんけん。Kカメラマンは一番最後に乗ることになった。つまり、草原に一番長く待たされるわけだが、この時に横井さんの凄さが身に染みてわかったと言うのだ。Kカメラマンは、それまでの人生で見たこともないほどの蚊の大群に取り囲まれたというのだ。払いのけても払いのけても執拗に迫ってくる蚊の大群。まとわりついてくる。顔の周囲でもグルグル回り続けホテルに帰りついた時には、ぼこぼこの顔になってしまったそうだ。常夏の島のジャングル。
(こんな状態を28年も経験していたのか…)そう思ったそうである。

横井さんが潜伏したジャングル

グアム島の「蚊の映像」は、CBCに残されたどのカットからも確認できなかったが、横井さんはそんなことも一つ一つ乗り越えていたのかと思うと、編集機の前で「すげ~な~」とお気楽な私の背筋も伸びる。刻まれた時の映像の温度・湿度・空気・困難な環境を想像しながら眺めると、ますます「横井さんはすごい」という気持ちになってくる。

Kカメラマンはこの1973年の同行取材で心に残ったことについては当時のCBCの社内報にも寄稿していた。その文章の9割が「蚊の大群」についてのことだった。横井さんの“超人伝説”の一つとしてお伝えしたい。

横井さん帰還を屋根から見物する人も(1972年4月25日)

こうした大先輩たちの取材からもおよそ50年となるわけだが、当時は今のテレビの取材体制とはあまりにも違う距離感で横井さんに迫っている。至近距離でどこまでも横井さんを追いかけている映像の数々。正直なところ、メディアスクラムも甚だしい大騒ぎ。テレビがとても元気な時代に突入しているのだが、成熟していない状況も伝わってくる。3か月の入院生活を送り、退院したばかりの横井さんの家の中までカメラは入り、玄関先に押し寄せんばかりの群衆。横井さんへの負担は、いかばかりだったかと気の毒になる。

横井さんの実家から中継する日比英一アナウンサー

取材する側としては、全てが「学び」となる1972年の横井さん関連の映像。平和であることが尊いことを伝えるべく、珠玉のカットを改めてご覧いただけるようにしたい…そう強く思う。50年の巡りあわせに感謝しつつ…。

CBCテレビ 報道部 大園康志

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