episode 3
ジャングルで8年 一人ぼっちの名古屋人
~元日本兵・横井庄一さんの「極意」に迫った医師団

1人でジャングルに生きるというのはどういう気持ちなのだろう。体験した残留日本兵・横井庄一さんでしかわからないこと。28年のグアム島のジャングルでの潜伏生活の中で、最後の8年は一人で過ごした横井さん。太平洋戦争のもたらした悲劇。東條英機陸相が1941年1月に発表した「戦陣訓」(せんじんくん)は、これほどまでに兵士の心に深く刻まれていたのか…と驚く出来事だ。

「生きろ」ではなく「場合によっては自ら死ね」と国が教育したのだから、戦争は絶対にあってはならない。泥沼の太平洋戦争。多くの若い命が南方で散り、悲しき美談も数多あるが、横井さんのように生きて苦しむというのも誠に辛い話だと思う。

妻・美保子さんのご厚意で横井さんの帰国直後のカルテを拝見することが出来たわけだが、1972年の発見以来、サバイバーとしての横井さんの生きる術はどんなものだったのか?当時、世間は大いに注目し、帰国後しばらくすると百貨店では横井さんが島で着用していた手作りの服や使っていた道具類も並べられ多くの人が詰めかけた。
大丸松坂屋百貨店などを運営するJ.フロント リテイリングの好本達也社長と2022年の新春の経済番組の打ち合わせで話をする機会があった。好本社長は横井さん発見当時のことをよく記憶されていた。帰国後に百貨店で開催した横井さんの生活の道具などを展示した展覧会が大盛況で、高度経済成長期の終わりがけの日本で、戦争の苦難を忘れていた時にあらわれた日本兵に素直に「すごい人だ」として魅了された人がたくさんいたことを教えてくれた。あの時のイベントは今でも強烈な印象が残っているとのことだった。

どうしたら一人で生き抜けるのか…その知恵を学んでみたいというのは50年たった今でも思う。ジャングル生活28年のうち最後の8年は1人で洞穴生活。8年間誰ともしゃべらない。8年間狩猟をし、火をおこし、どう食べていくかを考え続ける。蚊の大群が迫ってくるジャングル。銃をもった島民がジャングルの周りには暮らしている。いつ撃ち殺されるかと怯える日々。突然の腹痛。内服薬は何もない。電気・ガス・風呂・冷暖房・電話・車・自転車・紙・鉛筆・歯ブラシ・石鹸・下着・理髪店・本・新聞・雑誌・テレビ…なにもない中で、どう希望を持って明日を迎えたのだろうか?

カルテの中には入院中の横井さんの様子として「テープ(貼るための)、ボールペン、伊勢丹、大丸など新しいはずの単語を自然に用いている」と記録。また、「慣れぬと思われる家具、器具などにたじろぎも戸惑いなく平気でさっさと扱われるところがある」とも。
また「結構pflegerin(看護師)にはユーモラスに言い返したり、口達者に面白く話す」などと、横井さんが院内で徐々になじんでいく、様々吸収していく様子が記録されて興味深い。
医師団は「感情体験…一人でいる時の孤独時の心境は?その移り変わり、例えば月を眺めて感じたこと、1人で考えていたこと、空想したことなど感情面を聞くこと」という診療計画を書き残している。
さらに「今後、新しい状況について積極的に教えていくべきではないか」という横井さんの社会復帰に向けてのサポートを懸命に考えていた様子もうかがえる。
「信心の問題」としての医師の診療計画のメモもあった。「信心深かったのか、信心で自分に安らぎを得ようとしていたのか、読経のようなことをしていたか」ということを聞くべき事柄として書いている。

帰国後に横井さんの入院した当時の国立東京第一病院のスタッフは、発見後に収容されたグアムのメモリアル病院に横井さんを迎えにも行き、その後の日本での84日間の入院生活をサポート。
そして、1972年4月25日に名古屋まで送り届けるまで寄り添った。
グアムの病院での様子をカルテで見ると、横井さんの心理面に現れた変調はなかなかに厳しいものがあったとわかる。
ひとつあげるなら…
「眠りに入ると色々なものが白文字に見えて横井庄一…横井庄一…と浮かんでくる。どこからか声で呼ばれて『銃 殺す』とか聞こえてくる。人と話していれば、そんなものも見えたり聞こえたりはしない。こういう状況は日中より、夜に多かった」と記録。
退院後に社会生活を送っていくのには心の安定がとても大事なことで、伴侶の力もかりて健康管理に気を付けながら適度な運動・バランスのとれた栄養補給が必要と総括もしている医師団。そういう意味でも、その後、名古屋で通った病院の医師の力もまた重要なものであった。そして、何より、1972年11月に見合い結婚した京都市在住の幡新美保子さんのサポートを得られたことが横井さんの晩年を安らかなものにしたことは間違いない。
美保子さんは横井さんの遺言に従っていまも平和の尊さを訴え続けている。

1972年という年はさまざまなビッグニュースが並ぶ特筆すべき年だ。
1月24日 グアム島で横井庄一さん発見。
2月2日に横井さん帰国。3日に札幌五輪開幕。19日に連合赤軍あさま山荘事件。
5月15日 沖縄返還。
6月11日 日本列島改造論を田中角栄氏が発表。
7月7日 田中角栄内閣発足。16日 大相撲・名古屋場所で高見山が優勝 外国人力士として史上初の幕内優勝。21日「太陽にほえろ!」放送開始。
9月29日 日中国交正常化の共同声明調印。
10月7日 阪神タイガースのエース村山実投手引退。
11月6日 羽田発福岡行き・日航機ハイジャック事件。
こうした出来事を伝えたテレビの世界もまた活況だった。CBCテレビの映像でも横井庄一さんの取材については先輩方の執念が感じられる。今の時代なら踏み込んではならないところまで突き進んでいる生々しい映像に目を見張る。

CBCテレビ 報道部 大園康志