CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

NEWS RELEASE

ニュースリリース

ニュースリリース

2010年度

「第21回CBC小嶋賞」決定のお知らせ

2010年11月12日

 当社の放送、事業活動に貢献した個人や団体に贈る第21回「CBC小嶋賞」受賞者が下記の通り、決定致しましたのでお知らせ致します。

第21回「CBC小嶋賞」受賞

プロゴルファー 杉原 輝雄 さん
プロゴルファー 石川 遼 さん

●「CBC小嶋賞」受賞理由

○杉原 輝雄 さん (1937年06月14日大阪府出身)
地元の茨木CCでキャディのアルバイトを始めた杉原選手は、1957年(昭和32年)弱冠20歳でプロデビュー。その3年後、中日クラウンズの第1回大会に22歳で参加し、第5回大会では中村寅吉選手を逆転して初優勝。“マムシ”というニックネームが表すように、決してあきらめない粘っこいゴルフで2位が3回、3位が3回という好成績を残しました。
また永久シードを獲得する長い競技生活は、故障や病気との戦いでもありました。1998年には前立腺ガンが発覚。手術をせず粒子線療法で克服しましたが、その過程でガン細胞がリンパ節に転移してしまい、体内にはまだいまわしい細胞が残っています。それでも「生涯現役」にこだわり、今年の第51回中日クラウンズにおいて、同一競技連続出場記録51回、そして同一大会最多出場記録51回という前人未到の記録を達成しました。この記録は、アーノルド・パーマーが記録したマスターズの50回連続出場を超える世界記録となり、CBCが主催する歴史と伝統の中日クラウンズの名声を大いに高められました。

○石川 遼 さん (1991年09月17日埼玉県出身)
石川選手は2008年の第49回大会が中日クラウンズ初出場。第50回記念大会は予選を通過したものの、29位タイの成績でした。
迎えた第51回大会最終日、1アンダー 18位からスタートした石川選手は、1番・2番のバーディーで波に乗り、アウトを7バーディーの「28」。インに入っても5バーディーの快進撃で、トータル「58」のコースレコードを更新する世界記録で大逆転優勝を飾りました。
石川遼さんが第51回中日クラウンズで樹立した記録は以下の通り。

@日本ツアー記録かつ大会記録
(1)18ホールでのベスト・スコア 58(ツアー新記録)
(2)18ホールでの最多アンダー 12(ツアータイ)
(3)9ホールでの最少スコア 28(ツアータイ)
@大会記録
(1)大会最年少優勝(18歳7カ月)
(2)9ホール最多バーディー 7
(3)18ホール最多バーディー 12
(4)最終ラウンドでの最大打差逆転優勝 6打差

また、TV中継の視聴率も名古屋地区で16.0%と過去最高をマークし、その歴史的ラウンドを記録したDVDも3ヶ月で1万枚を超える驚異的な売上を記録しました。「石川 遼 中日クラウンズ 58の奇跡」は、今でも各媒体での露出が続いており、CBCの声価を大いに高められました。

●「第21回CBC小嶋賞」授与式
12月15日(水)午前10時より CBC本館3階「CBCホール」にて
・なお、石川遼選手は、ビデオにて出演予定です。

●CBC小嶋賞とは
当社の創業に尽力した故小嶋源作(こじま・げんさく)元会長の遺志によって寄託された3,000万円を基金として、平成元年10月に制定されました。
授与対象は当社の放送・事業活動や社業の発展に寄与した個人または団体で、毎年社長が委員長を務める「CBC小嶋賞基金運営委員会」で受賞者を決定します。
受賞者には12月に開かれる当社の創立記念式典で、表彰盾と奨励金100万円が贈られます。

●故 小嶋 源作 元会長
中部日本放送の創立と発展に尽力した小嶋氏は、CBCの父とも云うべき人物です。
「中部日本放送、JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。昭和26年9月1日、我が国で初めての民間放送、中部日本放送は今日ただいま、放送を開始いたしました」。
戦後の日本が、焼け跡の暗闇から抜け出そうともがいていた1951年9月1日午前6時半、記念すべき「民放第一声」が全国に先駆けて、名古屋から発せられました。
戦後まもない頃、中部日本新聞社(現在の中日新聞)編成局連絡部長を務めていた小嶋氏は、「民主国家として言論の自由を取り戻すためのフリーラジオを」という強い願いから、民間放送局CBCラジオの創立に東奔西走しました。当時日本の放送といえば公的な機関であるNHKラジオのみ。それまでなかった民間放送という形態のメディアだけに、自分が勤める新聞社の説得、許認可権者である逓信省やGHQ(連合国軍総司令部)との交渉、また地元財界に出資を募るなど、前途には難しい問題が横たわっていましたが、小嶋氏はそれらを粘り強く解決していきました。
「われわれは明日、NHK島に敵前上陸する」。会社創立当初、代表取締役常務に就任した小嶋氏は、社の綱領である「真実と自由を求める」「価値の創造に生きる」「協同と責任をたっとぶ」を体現しながらラジオに続いてCBCテレビを開局。兼営局としての放送事業を軌道に乗せ、その後社長、会長を歴任。民間放送の発展に尽くすとともに、今日のCBCの礎を築きました。

●小嶋源作氏年譜

1905年(明治38年)01月元旦
石川県石川郡野々市町に生まれる
1929年(昭和04年)03月
名古屋新聞社(中日新聞社前身)入社
1949年(昭和24年)09月
中部日本新聞社出版局局長
1950年(昭和25年)12月
中部日本放送代表取締役常務
1957年(昭和32年)11月
   同  代表取締役専務
1959年(昭和34年)11月
   同  代表取締役副社長
1967年(昭和42年)11月
   同  代表取締役社長
1975年(昭和50年)05月
   同  相談役
1975年(昭和50年)12月
   同  代表取締役会長
1989年(平成元年)06月
   同  常任相談役
1989年(平成元年)08月7日
逝去(享年84)
1989年(平成元年)09月1日
中部日本放送社葬
1989年(平成元年)10月1日
「CBC小嶋賞基金」設立