ニュースリリース
2009年度
「第20回CBC小嶋賞」決定のお知らせ
2009年11月16日
当社の放送・事業活動に貢献した個人や団体に贈られる今年度の第20回「CBC小嶋賞」の受賞者が、下記のように決定致しましたのでお知らせ致します。
第20回「CBC小嶋賞」受賞
名古屋ゴルフ倶楽部
●会社概要
- 社名
- 名古屋ゴルフ倶楽部
- コース名称
- 名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース
- 所在地
- 愛知県愛知郡東郷町大字和合字ドンドロ35番地の1
- 開場日
- 1929年(昭和4年)9月15日
- 理事長
- 川口文夫
- 代表者
- 澤田康夫(常務理事)
- 正会員数
- 1,627名(11月現在)
- 加盟団体
- JGA、CGA、AGA
- 設計者
- 大谷光明
- コース
- 6,545ヤード 18H PAR70
名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースは、1929年(昭和4年)9月、中部地区初のゴルフ場として開設された。設計は、川奈ホテルゴルフコース(静岡県伊東市)等を手がけた名匠・大谷光明氏で、和合コースは、日本屈指の難コースのひとつともいわれている。1936年(昭和11年)と1956年(昭和31年)に、日本プロゴルフ選手権を開催、1960年(昭和35年)からは「中日クラウンズ」の会場となり、1989年(平成元年)には、日本オープンゴルフ選手権を開催している。近年はコース改修にも意欲的に取り組み、「中日クラウンズ」の舞台としての評価が上がっている。
●「CBC小嶋賞」受賞理由
名古屋ゴルフ倶楽部は、今年、第50回の記念大会を迎えた「中日クラウンズ」の開催コースとして、長年にわたり、歴史と伝統の舞台を作り上げ、「中日クラウンズ」を国内屈指のゴルフトーナメントとして、その声価を高めることに貢献した。
●「中日クラウンズ」
国内外のトッププレーヤー達が名を刻んだ「中日クラウンズ」は1960年、名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースを舞台に、「中部日本招待全日本アマ・プロ選手権大会」の名称でスタート。第1回・2回は名古屋ゴルフ倶楽部、第3回・6回は愛知カンツリー倶楽部、第4回・5回は三好カントリー倶楽部で開催され、第7回以降「クラウンズ」の名称が付けられたと同時に名古屋ゴルフ倶楽部が会場として定着し、「クラウンズは和合コース」との認識が内外のゴルフファンの間に浸透している。
国内の民間トーナメントとしては、最も長い歴史を誇り、2009年の今年、第50回の記念大会(4月30日~5月3日)を迎えた。
●「第20回CBC小嶋賞」授与式
12月15日(火)午前10時より CBC本館3階「CBCホール」にて
●CBC小嶋賞とは
当社の創業に尽力した故小嶋源作(こじま・げんさく)元会長の遺志によって寄託された3,000万円を基金として、平成元年10月に制定されました。
授与対象は当社の放送・事業活動や社業の発展に寄与した個人または団体で、毎年社長が委員長を務める「CBC小嶋賞基金運営委員会」で受賞者を決定します。
受賞者には12月に開かれる当社の創立記念式典で、表彰盾と奨励金100万円が贈られます。
●故 小嶋 源作 元会長
中部日本放送の創立と発展に尽力した小嶋氏は、CBCの父とも云うべき人物です。
「中部日本放送、JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。昭和26年9月1日、我が国で初めての民間放送、中部日本放送は今日ただいま、放送を開始いたしました」。
戦後の日本が、焼け跡の暗闇から抜け出そうともがいていた1951年9月1日午前6時半、記念すべき「民放第一声」が全国に先駆けて、名古屋から発せられました。
戦後まもない頃、中部日本新聞社(現在の中日新聞)編成局連絡部長を務めていた小嶋氏は、「民主国家として言論の自由を取り戻すためのフリーラジオを」という強い願いから、民間放送局CBCラジオの創立に東奔西走しました。当時日本の放送といえば公的な機関であるNHKラジオのみ。それまでなかった民間放送という形態のメディアだけに、自分が勤める新聞社の説得、許認可権者である逓信省やGHQ(連合国軍総司令部)との交渉、また地元財界に出資を募るなど、前途には難しい問題が横たわっていましたが、小嶋氏はそれらを粘り強く解決していきました。
「われわれは明日、NHK島に敵前上陸する」。会社創立当初、代表取締役常務に就任した小嶋氏は、社の綱領である「真実と自由を求める」「価値の創造に生きる」「協同と責任をたっとぶ」を体現しながらラジオに続いてCBCテレビを開局。兼営局としての放送事業を軌道に乗せ、その後社長、会長を歴任。民間放送の発展に尽くすとともに、今日のCBCの礎を築きました。
●小嶋源作氏年譜
- 1905年(明治38年)01月元旦
- 石川県石川郡野々市町に生まれる
- 1929年(昭和04年)03月
- 名古屋新聞社(中日新聞社前身)入社
- 1949年(昭和24年)09月
- 中部日本新聞社出版局局長
- 1950年(昭和25年)12月
- 中部日本放送代表取締役常務
- 1957年(昭和32年)11月
- 同 代表取締役専務
- 1959年(昭和34年)11月
- 同 代表取締役副社長
- 1967年(昭和42年)11月
- 同 代表取締役社長
- 1975年(昭和50年)05月
- 同 相談役
- 1975年(昭和50年)12月
- 同 代表取締役会長
- 1989年(平成元年)06月
- 同 常任相談役
- 1989年(平成元年)08月7日
- 逝去(享年84)
- 1989年(平成元年)09月1日
- 中部日本放送社葬
- 1989年(平成元年)10月1日
- 「CBC小嶋賞基金」設立