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ドラゴンズ落合博満選手誕生「勉強して来いよ」から始まった密着取材

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ドラゴンズ落合博満選手誕生「勉強して来いよ」から始まった密着取材 | ドラの巻【昇竜復活へ!CBC中日ドラゴンズ情報】 | CBCテレビ・CBCラジオ

「勉強して来いよ。くだらねえ質問したら、その場でカメラのスイッチを叩き切るからな」
初対面の相手からのその言葉に、私は息を飲んだ。
震え上がったとは意地でも言いたくないが・・・やはり震え上がっていた。

■三冠男との初対面

ロッテ・オリオンズから中日ドラゴンズへトレードでやって来た落合博満選手の密着取材を命じられ、“落合番”となった私が、取材対象に初めて挨拶したのは、年が明けて1987年(昭和62年)1月26日のことだった。
スポーツ担当アナウンサーの大先輩の仲介もあって、名古屋市中区の店で夕食、しゃぶしゃぶを食べることになった。メニューは落合選手のリクエストだと聞いた。相手は落合選手だけでなく、信子夫人も一緒だった。落合選手はさまざまな行動の際に、信子夫人とのコミュニケーションを欠かさないと聞かされていたが、その席も夫婦そろっての出席だった。
正直、それほどの緊張はなく、むしろワクワクしていた。プロ野球大好き、ましてドラゴンズは“好き嫌いのレベルではない。生活の一部”と公言しているだけに、三冠王を3回も取っている名選手と会える瞬間に、ワクワクしないはずはない。報道マンとして丸5年が経とうとしており、4年にも及ぶ愛知県警取材で、事件や事故現場も数々経験して、相当の度胸もできていた・・・という思いもあった。

■強烈な「勉強して来いよ」

掘り炬燵の座敷で、落合夫妻を迎え、名刺を渡した直後だった。
「ふ~ん、キタツジっていうのか?おめえがオレにインタビューするのか?」
「はい。折々、いろんな場面でお話を聞ければと思います」
 そこで冒頭紹介した一言だった。
「勉強して来いよ。くだらねえ質問したら、その場でカメラのスイッチを叩き切るからな」
初対面の相手、33歳の三冠王からの突然の先制パンチには、本当に驚いた。でも、正直言って、その言葉の意味するところは十分に理解できていなかった。

■落合選手から至極の教訓

後日、取材を進める中でその真意が解った。あくまでも後日の理解である。
我々取材記者は、担当を交代する時など、相応にして社内引き継ぎをあまりしない場合がある。すぐに新しい担当としての取材が待っていたり、転勤したり、その場合は、担当する取材相手に一から話を聞くことになる。取材相手も報道側に対して配慮してくれて、普通丁寧に説明してくれる場合がほとんどだ。
しかし落合選手はこう言いたかったのだろう。
「それは違うだろう。なぜ同じ社内で引き継ぎをしてこない?なぜオレが教えてやらなくちゃいけない?オレは野球のプロ、お前たちも取材のプロなら、すでに先輩たちが質問したこととか、答えたこととかは頭に入れてから取材に臨んでこい。それが礼儀。それまでに出なかった質問になら、ちゃんと答えてやる。そうでなければ答える気はない」
もっともなことである。取材記者という人種はある意味で図々しい。
私も現場で「何もわかりません。教えて下さい」と取材に臨むことがあった。その図々しさも記者にとっては、ある意味で大切な要素でもあるのだが、その“予習不足”を落合選手は「くだらねえ質問」と一刀両断にし、「カメラのスイッチを叩き切る」と戒めたのだった。
実はこの取材に臨む姿勢のあり方は、その後の私の記者人生に大きく影響した。
取材だけではない、人と出会う時の礼儀にも活かした。可能な限り、“人に対する予習”をするようになった。そんな大切なことを落合選手から“勉強”した初対面だった。
それ以降、私の中では、折々「勉強して来いよ」「勉強して来いよ」という声がこだましている。それは現在も続いている。

■密着取材苦闘の日々

初対面は初対面としても、その後の取材も決して順調ではなかった。
しゃぶしゃぶ夕食の翌日、落合選手はロッテ球団での挨拶のために、東京へ戻り、ロッテ本社や川崎球場などをまわった。“時の人”の動きを追い、多くのスポーツマスコミが殺到した。どう見ても、警察担当記者上がりの自分は、その中では違和感があったと思う。そして、前夜に夕食を共にしている落合選手は、私のことをまったく無視。
そりゃそうだろう、初めて会ってから24時間もたっていない記者なのだから・・・。
これからこれから・・・と自分を鼓舞する。

■家探しにも同行取材

ドラゴンズ球団への挨拶と名古屋での家探しにも同行した。CBCテレビ独占取材である。取材は名古屋駅のホームから始まったが、ホームに降り立った落合選手はやはり独特のオーラがあった。周囲の空気が明らかに変わった。
名古屋・栄の中日ビルにある球団への挨拶はともかくとして、家探しは“落合家庭番記者”として最初の仕事となった。不動産会社の案内で、名古屋市東部にある一戸建て住宅を3軒まわった。
この時期、信子さんが赤ちゃんを授かったことが明らかになっていた。夫妻にとって待望久しい二世。お腹をかばいながらの、そして3人で住むことを念頭にしての家探しだった。
また落合家は大の犬好きで、東京の自宅では4匹の犬を飼っていた。この“家族”も名古屋に連れて来ると言う。そんな条件をクリアする家を見てまわり、私たち取材チームは一緒に動いた。候補5軒の内に1軒、東山動物園に近い名古屋市千種区の2階建て住宅を訪れた時、ベランダに出た信子夫人がつぶやく・・・
「この家に沢山の記者さんが来るんだろうね、落合さんが名古屋で4度目の三冠王を取ったら」。
三冠男そして一家への取材がいよいよ始まった。1987年まだ春遠き頃だった。(1987年)

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。

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