2024年 |
第65回 |
柴垣建男 |
鳳笙楽器師 |
笙(しょう)の制作には 数十年煤(すす)を当て乾かし良く締まった真竹(まだけ)と矢竹(やたけ)が必要です。音を奏でる要のリードは長きにわたって叩き込まれた銅鑼(どら)を材料とします。
手をかけて作った材料の細工は一ミリ未満の細微な技が必要で その工程は寸分の妥協も許されません。
丁寧に組みあがった楽器は、その使い手の愛情と楽器師による何百回という洗替(あらいがえ)を経て三百年先まで奏で続けられます。そんな雅で繊細な楽器を育て続ける鳳笙楽器師(ほうしょうがっきし)それがあなたです。
ここにCBCクラブ文化賞を贈り顕彰します。 |
2023年 |
第64回 |
鈴木豊美 |
本美濃紙・美濃手漉き和紙製造 |
凍てつくような清流板取川に、大子那須楮(だいごなすこうぞ)の白皮(しろかわ)を晒す。煮詰め蒸らし、川屋で丁寧に不純物を取り除く。そして木槌などで叩き解す。こうして千三百年続く本美濃紙の職人仕事が始まります。
紙漉きは、竹ひごの先端を斜めに削いでつなぐ「そぎつけ」の竹簀(たけす)を使い「横揺り(よこゆり)」を加える十文字漉きが特徴です。繊細で美しい本美濃紙。その伝統技術の保存伝承の要、それがあなたです。
ここにCBCクラブ文化賞を贈り顕彰します。 |
2022年 |
第63回 |
蓑輪正雄 |
漆製造販売 |
日本を代表する文化財・漆(うるし)は、毎日使うお椀(わん)などの漆器はもとより、蒔絵(まきえ)や沈金(ちんきん)、螺鈿(らでん)等の芸術品や建物・仏像の制作に至るまで幅広く用いられ、国宝などの保存・修復にも欠かせません。
塗料としての生漆(きうるし)は、ウルシの樹液に熱を加え、攪拌(かくはん)ろ過し、脱水していく「なやし」「くろめ」の工程を経て精製されます。
こうした貴重な技術を受け継ぎ 漆文化を下支えする数少ない職人、それがあなたです。
ここにCBCクラブ文化賞を贈り 顕彰します。 |
2021年 |
第62回 |
長屋一男 |
和傘轆轤職人 |
歌舞伎や日本舞踊など、伝統芸能や 野点にも欠かせない和傘
その要となる重要な部品が「轆轤」。
材料となる「エゴノキ」の供給が途絶えるなど、様々な困難を乗り越え、半世紀に渡り、そのロクロを黙々と作り続けた功労者今や全国で唯一のロクロ職人、それがあなたです。
ここにCBCクラブ文化賞を贈り顕彰します。 |
2020年 |
第61回 |
坪井幸夫 |
竹屋町縫元 |
茶人大名の古田織部が、中国から招いた職人に京都竹屋町で行わせた独特の刺繍仕事が竹屋町縫い。茶掛け用の軸物表具裂、茶器の仕覆裂等として珍重されてきました。
初代が大正年間に京都の竹屋町にて修行し名古屋にて創業、この伝統ある刺繍の技法を受け継ぎ、文化財等の修復にも携わる全国でも貴重な職人、それがあなたです。
ここにその功績を讃え、CBCクラブ文化賞を贈ります。 |
2019年 |
第60回 |
佐藤豊 |
日本舞踊狂言方 |
日本舞踊の公演にとって、舞台進行すべての責任者である「狂言方」は大変重要な役目を果たします。
幕開きや幕切れに冴えわたって響く柝の音はいつも観客の心を躍らせます。その「柝を打つ」のはもちろん、花道を出たり、見得を切ったりするときは「ツケ打ち」で舞台効果を高めます。演者の個性による微妙な間合いも長年のキャリアで的確なタイミングで行います。
佐藤さんは、この地方で数少ない「狂言方」の第一人者、裏方に徹しこの道一筋、黙々と芸どころ名古屋を支え続けています。 |
2018年 |
第59回 |
飯冨雅介 |
能楽師(ワキ方高安流) |
能楽ワキ方高安流の一員として、学生時代より真摯に稽古・修行に務めて半世紀、尾張藩から続く名古屋のワキ方として、また高安流の後見役としてその継承維持にひとかたならぬ努力をしてこられました。
特に「西村同門会研究能」を主宰し、意欲的な演目への挑戦や、若手楽師の育成など、高い志と情熱により人知れず能楽の普及、発展に貢献されました。 |
2017年 |
第58回 |
生川久次 |
グラフィックデザイナー |
宣伝美術は、チラシ、ポスター、パンフレットなどでその公演のコンセプトを分かりやすく示し、多くの人に広く周知することが求められ、公演の成功不成功を大きく左右します。まさに目立たない裏方でありながら、大変重要な仕事。
特に舞台関係の宣伝美術という仕事がまだ確立されていない時代に、この地方の先駆けとして多くの制作に携わり、独学・試行錯誤によりその手法・技法を習得。また全国の商業劇場の中で、いち早くコンピューターを使って制作を行うなど業界を牽引。以来、宣伝美術一筋に現在に至るまでの50余年間、この地方の芸術・文化の下支えを行い、その振興に貢献されました。 |
2016年 |
第57回 |
加藤純子 |
古典模写制作 |
加藤さんは、東京藝術大学で吉田善彦(よしだ・よしひこ)先生に師事し、「国宝・一遍聖絵」などを模写、本格的に古典模写制作の道を歩まれました。
その後も、「国宝 源頼朝像」、「重要文化財・松島瑞巌寺(まつしま・ずいがんじ)障壁画」の復元模写、さらにこの地方にあって、「重要文化財・名古屋城本丸御殿障壁画 竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」の復元模写、また、徳川美術館で公開され大きな話題になった「国宝 源氏物語絵巻」の復元模写を行うなど、長年にわたり、古典模写制作者として一業、一芸に黙々と従事し、国宝や重要文化財の数々を現代に蘇らせ、文化の発展に大きく貢献してこられました。 |
2015年 |
第56回 |
中川幸作 |
カメラマン |
昭和35年の第1回CBCクラブ文化賞(くちなし章)の設置以来、選考基準は一芸一能に徹し社会的に貴重な存在になっているとあります。中川氏は一芸に徹し、名古屋の音楽・美術工芸界になくてはならないという人でありながら表舞台には出てこない、まさに縁の下の力持ちくちなし章にふさわしい人と言えます。 |
2014年 |
第55回 |
太田けんじ |
舞台監督 |
昭和44年以来舞台芸術に関わり、オペラ・バレエ・演劇など手がけた公演は枚挙に暇がありません。この地方の舞台芸術界になくてはならないという人でありながら表舞台には出てこない、まさに「くちなし章」にふさわしい人です。 |
2013年 |
第54回 |
水野鑛一郎 |
筝・甲づくり職人 |
昭和30年に筝・甲づくり職人になって以来50年以上の長きにわたり筝業界を支えてきました。筝の製造は、この地方では分業制になっており、切り出された桐の木を、削り・焼きを入れる(甲づくり)作業と、弦を張るための飾り付けをする作業に分かれます。甲づくり職人は、東海地方で水野氏が唯一です。 |
2012年 |
第53回 |
鈴木均 |
コンサートピアノ調律師 |
コンサートにおけるピアノの調律は、その日の出来不出来を左右するほど、重要な仕事。音程はもちろん、音色・打鍵・楽曲やピアニストに合わせてピアノのコンディションを整えられる人は極わずかしかいない。この地方のピアニストはもとより、海外の著名なピアニストからも調律を指名されるなど、名古屋の音楽界にとって、無くてはならない第一人者。 |
2011年 |
第52回 |
岡安辰雄 |
演劇評論家 |
50年余にわたり舞台芸術を評論し、文章の力で、舞台人を、育て、支え、見守ってこられた方。豊富な知識で、関係者からも厚い信頼を得る第一人者。 |
2010年 |
第51回 |
下斗米雪子 |
舞台衣裳デザイナー |
「フィガロの結婚」や「アイーダ」など、今までに50近い演目のオペラ衣裳の制作を行っている。演目の時代背景だけでなく、地域性や身分なども調べあげ正確に表現できる舞台衣裳デザイナーとして貴重な人物である。 |
2009年 |
第50回 |
後藤富 |
写真家
株式会社御園座特別職 |
「御園座百年史」「抱きとんぼ一代」などの掲載写真にみられるように、歌舞伎を始め、新国劇、新派、松竹新喜劇等、御園座で上演された演劇で、名優たちの記録を50余年にわたって黙々と撮り続けてきた。 |
2008年 |
第49回 |
𠮷田稔 |
染物職人
𠮷田旗店会長 |
日本固有のデザインである「大漁旗」の製作に必要な伝統技術を継承するため大漁旗フォーラムを立ち上げ若者の育成に力を注ぐほか、大相撲の場所ごとに製作される力士幟の7割以上を製作。大漁旗や力士幟製作の第一人者である。 |
2007年 |
第48回 |
伊藤由紀夫 |
日本舞踊衣裳方
株式会社北徳勤務 |
金城おどり(名古屋まつり協賛)、名古屋をどり(名古屋・西川流家元主催)をはじめ舞台衣裳の考案・作成・調整・着付に関して、現在名古屋地区の第一人者である。 |
2006年 |
第47回 |
久保田五十一 |
ミズノテクニクス
バットマイスター |
60歳を過ぎた今でも、国内外のプロ野球選手から名指しでの注文が絶えず、一本一本すべて特性の違う木と対話し見事に完成させる、まさにバットの名工。その真摯な姿は、若きバット職人たちのお手本にもなっている |
2005年 |
第46回 |
内田修 |
音楽プロデューサー |
長年にわたり国内外のジャズメンの支援活動を続けるとともに、膨大なコレクションを岡崎市に寄贈。 |
大野一英 |
作家・僧職 |
“名古屋もの作家”として名を馳せ、代表作には「名古屋ケチケチ繁盛記」「堀川」「尾張柳生物語」「大須物語」がある |
2004年 |
第45回 |
森村宜高 |
大和絵画家・森村記念館館長 |
大和絵の伝統を受け継ぐとともに、森村記念館の館長として尾張ゆかりの画家、文献を紹介。 |
2003年 |
第44回 |
山田幸康 |
床山(女形結髪) |
床山一筋40年余年、古典から新作までの結髪を担い、東海地方の日本舞踊の舞台に欠かすことが出来ない存在。 |
2002年 |
第43回 |
東彰治 |
舞台監督・プロデューサー |
舞台芸能の企画・制作・演出・美術など万般に奔命。魅力ある舞台を目指して生涯裏方に徹する。 |
助川龍夫 |
能楽観世流太鼓方 |
昭和53年重要無形文化財総合指定を受け、自ら舞台を務め上げながら、指導にも力を注ぐ。この地方の能楽界隆盛の影の功労者。 |
2001年 |
第42回 |
藤井喜久甫 |
茶華道教授 |
茶・華両道の秘奥を極め、卒寿を超えても自家の教室などで講師として活躍する茶華道界現役の長老。 |
川口菊斉 |
茶筅職人 |
18歳で叔父のもとに修行に入り、33歳で独立。
分業が一般的とされている茶筅づくり16工程を一人でこなす名人。
4流派の異なった型の茶筅を作れる愛知県内唯一の茶筅職人。 |
2000年 |
第41回 |
伊藤昭雄 |
製墨 |
鈴鹿墨の伝統と手作りの手法を守り続け、伝統工芸士に認定される |
1999年 |
第40回 |
筧忠治 |
画家 |
独学で絵画を学び、その強烈な印象を与える絵画世界は他の追随を許さない |
林季夫 |
園芸研究家 |
「電照菊」に取り組み、渥美の電照菊を施設・量ともに日本一にした功績を評価される |
1998年 |
第39回 |
井上禮之助 |
和泉流狂言師 |
和泉流を伝え、今日の名古屋における狂言隆盛の陰の功労者 |
柴田文夫 |
雑誌編集者・放送評論 |
ミニコミ誌「駅前」を発刊するほか、新聞の放送批評のレギュラーを務める |
1997年 |
第38回 |
柳生延春 |
柳生新陰流兵法第二十一世宗家 |
古武道の保存、普及、後進の育成に努め正統な柳生新陰流を守り続ける |
杉浦三郎 |
毛筆製造 |
多くの同業者が廃業するなか、高度な職人芸で質の高い毛筆を作る |
1996年 |
第37回 |
江場琳黌 |
仏師・仏像彫刻 |
薬師三尊像をはじめ数多くの仏像を納める。平安・鎌倉時代の文化財諸仏像修復も手掛け、大佛師の称号を受ける |
鈴木理之 |
能楽器製作・修理 |
家業の能楽器小鼓の製作・修理に専念し無形文化財選定技術保持者の認定を受ける |
本間五郎 |
舞台装置背景師 |
主要劇場の舞台装置を一手に引き受け、様々な舞台において優れた背景を創出する |
1995年 |
第36回 |
荒木実 |
東山古窯址群研究家 |
名古屋の「東山古窯址群」の調査・研究を続け、大著「東山古窯址群」を刊行 |
1994年 |
第35回 |
加藤文子 |
邦楽・常盤津 |
長年邦楽の普及・発展に尽力、「名古屋むすめ歌舞伎」の育成者 |
1993年 |
第34回 |
山田卓 |
天文教育 |
名古屋市科学館プラネタリウムで解説を続け、天文宇宙知識の普及に努める |
松原重光 |
舞台照明 |
名古屋をどり、金城おどり、日舞各流、クラシック・バレエの舞台照明を手がける |
1992年 |
第33回 |
鎌田綾子 |
日本舞踊衣装製 |
作芸どころ名古屋における日本舞踊各流派の舞台衣装を一手に引き受ける |
1991年 |
第32回 |
山中智恵子 |
歌人 |
女流歌人として全国でも十指のうちに挙げられるほか、国史跡「斎宮」の研究をし、斯界第一人者の評価を得る |
石川一夫 |
プロゴルファー |
中部地方ゴルフ界草分け。自身の活躍はもとより後進の指導・育成に力を注ぎ信望を集める |
1990年 |
第31回 |
𠮷田市郎 |
和菓子 |
良質の原料と優れた技術・デザインを菓子造りの要諦として、「亀末廣」の名を伝える |
安田識人 |
伊勢絵馬 |
伊勢絵馬師、古典絵馬の収集研究と現代絵馬の製作普及に尽力 |
1989年 |
第30回 |
古田忠久 |
蛍研究 |
蛍の生態と人工増殖を研究。天然記念物である岡崎の源氏蛍「生田蛍」絶滅の危機を救う |
堀江勤之助 |
古典染織 |
古典織布の材料と染色方法を独自に研究し、名古屋における古い染織布の復元に貢献 |
1988年 |
第29回 |
武智春雄 |
装潢師 |
古美術書画の修復施工技術の錬磨に精励、彩色絹本古画の修復に優れた成果をあげる |
古川恵永 |
藕絲織(ぐうしおり) |
戦前から食物繊維の研究に携わり、蓮の繊維からできた糸で藕絲織を完成させる |
1987年 |
第28回 |
加藤孝一 |
洋画・テラコッタ |
中部水彩画協会を創立する。テラコッタによる立体作品のユーモアあふれる作風が注目を集める |
伊和家小米 |
お囃子 |
お囃子家元四世として小鼓の芸に徹し国内外に多くの弟子をもち、国際交流に寄与 |
1986年 |
第27回 |
井波一雄 |
植物分類 |
植物の調査・研究に尽力し、東海植物の会を主宰 |
松原英夫 |
かつら師・床山 |
舞台の裏方としてかつら・床山の仕事に従事し、独特の松原方式を開発 |
1985年 |
第26回 |
加藤英一 |
陶芸 |
中国宋時代の技法の研究を続け数々の作品を制作。瀬戸を代表する陶芸作家として各地の芸術家と瀬戸の架け橋となる |
近藤基美 |
邦楽実演 |
清元節三味線の演奏家として、大和楽の指導者として、中部地方の邦楽、邦舞界に貢献 |
1984年 |
第25回 |
田中義廣 |
祭研究 |
民俗学に傾倒し、まつり同好会を発足させ、古来の祭りの研究、神事芸能の保存に尽力 |
中川正和 |
梵鐘製作 |
従来の梵鐘の伝承のみならず、より良い音色・形態を研究し高い評価を受ける |
1983年 |
第24回 |
矢橋徳太郎 |
日時計 |
立体解析幾何学の知識を駆使し誤差が1分以内という日時計を製作し、作品は各地の公共施設に多数設置される |
鶴澤金吾 |
義太夫 |
2代目金吾を襲名し義太夫一筋70年、その普及振興に努める |
1982年 |
第23回 |
小崎甲子 |
女子柔道 |
女性で初めての初段となり、戦後は指導者として女子柔道の基盤をつくる |
三浦彌之助 |
鎧師 |
鎧師として鎧・具足・太刀外装等の調査・研究、復元・補修に努める |
1981年 |
第22回 |
谷口順三 |
円空研究 |
円空仏を現世利益の祈祷仏とみる独特な研究を行う |
1980年 |
第21回 |
魚津弘吉 |
社寺建築 |
堂宮大工として伝統技術を習得、数々の社寺を手がける |
林雲鳳 |
大和絵 |
歴史画の分野で独自の作風を確立、清澄な大和絵を描き、同時に大和絵を通して国際交流に貢献 |
1979年 |
第20回 |
辻京二郎 |
刀剣蒔絵 |
刀剣の柄巻師として名を馳せるとともに、柄巻師の講師として、優秀な後進を啓蒙する |
1978年 |
第19回 |
池上年 |
石彫刻 |
石造美術研究者として、遺跡・壁画の実測模写・復元をし、伝統を明らかにするとともに遺跡などの発掘・保存に尽力する |
1977年 |
第18回 |
橋本四郎 |
舞台背景画 |
各地の劇場の背景を画き、その技術と見識、後進の指導性において高い評価を受ける |
1976年 |
第17回 |
中川とも |
歌舞伎絵 |
独特な画風の歌舞伎絵で高い評価を受ける |
西川里喜代 |
日本舞踊 |
西川流の重鎮として家元を支え、現役最長老として名古屋の舞踊文化の発展に尽くす |
1975年 |
第16回 |
高科正守 |
からくり人形 |
全国ただ一人の「からくり人形師」として、製作だけでなく時代考証の研究も続け、「からくり」を世に伝える |
1974年 |
第15回 |
梶田守之 |
陶芸 |
80年間に及ぶ創作活動をおくり、伝統と歴史をあかす生証人として業績を残す |
中条雅ニ |
童詩 |
戦前、戦後を通じて、日本中の子供たちが歌った詩一茶サンの作詞者 |
1973年 |
第14回 |
土屋常義 |
円空仏研究 |
円空仏の研究および顕彰に励み、また多数の「円空仏」を発見 |
雑賀重良 |
歌書年表 |
独力で歌書・歌集の蒐集、調査、分類などを行い「歌書年表」の作製に打ち込む |
1972年 |
第13回 |
大江文象 |
陶芸 |
黄瀬戸、櫛目技法の第一人者として数々の入選を受け陶芸界に尽くす |
木戸史郎 |
解剖組織学図 |
わが国の組織学図を世界的水準まで高め、医学教育に貢献するとともに、地方文化向上に尽力する |
1971年 |
第12回 |
大西巨口 |
童話 |
名古屋で初めての童話会を開催し、「実演童話家」の一人者として活躍し、多くの創作童話を刊行 |
西村弘敬 |
能楽 |
高安流を名古屋で宗家として復興し、古曲・古典の保存・伝承に努める |
吉安けい |
名古屋甚句 |
七・七・七・五の4句からなる盆踊り民謡である「名古屋甚句」を名古屋の代表的な郷土芸能まで育て普及に努めた |
1970年 |
第11回 |
織茂三郎 |
郷土文化資料 |
財団法人徳川黎明会、蓬左文庫に勤務し、数々の和漢の古典、尾張資料などを整理、調査、解説展観、復刊する |
菊田束穂 |
笛 |
戦後の笛師、正倉院嘱託として御物の笛類を復元する |
1969年 |
第10回 |
荒川惣兵衛 |
外来語 |
「角川外来語辞典」を集大成する |
鈴木通雄 |
釉薬 |
30年にわたって釉薬の研究に打ち込み、故加藤土師萌氏から「釉薬日本一」と高く評価される |
1968年 |
第9回 |
片野元彦 |
絞り工芸 |
柳宗悦の指導、河井寛次郎の激励を受け染色に独自の世界を築く |
寺尾猪亥郎 |
釣り |
砂場流吉のペンネームで20年近く中日夕刊、中日スポーツの釣り欄に砂場節を書き続ける |
1967年 |
第8回 |
鷲見さだ |
三味線 |
郡上おどりに精魂を傾け、伝統を守りぬく |
吉川芳秋 |
地方史 |
公務員生活を送りながら、地方史に優れた足跡を残す |
1966年 |
第7回 |
石田天海 |
奇術 |
世界に名を轟かせている日本奇術、ことにスライハンドマジックの第一人者 |
片桐寿 |
名城石垣紋様 |
名古屋城石垣の彫り込み研究と同時に築城史をさらに明らかにし、日本紋章学に貢献 |
1965年 |
第6回 |
石原金一 |
横井也有研究 |
横井也有の忠僕石原家の後裔、郷土の偉人也有の研究に半生をささげる |
大谷伊佐 |
天然資源開発 |
わが国初の天然ガスの発掘者。三重県長島に資源発掘を志し、天然ガスと温泉を発掘 |
1964年 |
第5回 |
青木穠子 |
短歌 |
このはな会創設など当地方女流歌人の草分けの一人として活躍 |
大沢鉦一郎 |
洋画 |
当地方画壇の黎明期に愛美社を創設し、青少年の指導とともに郷土の芸術教育に貢献 |
1963年 |
第4回 |
桜井清香 |
古画復元 |
徳川美術館所蔵の国宝「隆能源氏物語絵巻」の復元模写を完成させる |
水野耕一 |
植物園育成 |
東山植物園の開園からその維持に二十余年にわたって貢献。科学館・昆虫館づくりにも携わる |
1962年 |
第3回 |
伊藤金次郎 |
蛙声会創設 |
喉頭ガンで、声帯を失うものの、人工のど笛で声を取り戻し、蛙声会を創設。精力的に活動を続け同病者の道標となる |
佐野えんね |
日独文化 |
公演活動や翻訳活動を行い、日独文化の普及に貢献 |
1961年 |
第2回 |
北王英一 |
動物園育成 |
日本最初の無柵式放飼場を設置するなど、動物愛護の精神を普及させる |
浅井勇 |
舞台装置 |
御園座において、歌舞伎・古典物の舞台装置に一生をささげた功労者 |
1960年 |
第1回 |
長谷川兼太郎 |
ムラージュ製作 |
ムラージュ(皮膚病などのロウ模型)製作の第一人者として国宝級の技術を持つ |
西川長吉 |
日本舞踊 |
舞踊生活70年、西川流初代直々に教わり、舞踊芸術の最長老 |