中日クラウンズ思い出③
3回目は、2003年の第44回大会です
初日首位は、地元愛知県出身の若手近藤智弘、学生時代にこの大会でローアマを獲得するなど相性のいい和合で8バーディーノーボギーの完璧なゴルフコースレコードタイをマーク。1打差で藤田寛之、さらに2打差で手嶋多一と続きました。
しかし、手嶋選手もホールアウト時点で 電光ボードでは-8で首位タイのはずでしたが、ここで事件が、
この日も、解説をしていただいた川田太三さんが、生放送前のリハ中に。モニター画面を見て、15番ホールで、放送ブースの小屋(動かせない臨時の障害物)の下にボールを打ち込んだ手嶋選手が、救済(罰なしで打てる位置ボールを動かす)を受け、ドロップする際の、位置がルールを外れていると指摘、主催者に伝達され、手嶋選手はスコアカードを提出する前に、競技委員と現場に行き、事実確認、誤った位置に動かしてプレーしたと判断され、2打罰が課され-8スコアがー6に訂正されてしまいました。
もちろん、手嶋選手に悪意があったわけではなく(個人的見解ですが、ものすごくいい人です)トーナメントのローカルルールの勘違いです。ルールでは動かせない臨時障害物から1クラブ以上分離れてドロップしなくてはいけなのに、障害物の影響を受けない、もっとも近いところ1クラブ以上離れないでで打ったためという、誤りでした。指摘すべき同伴競技者も気が付いていませんでした。
その夜、川田さんと某所で食事していたら、たまたま同じ店にいた別のベテランプロが「川田さん指摘してくれてありがとうございます。勘違いしている選手がいっぱいます。」とあいさつに来ました。
その1件があったトーナメントは、快調にプレーしていた近藤選手が3日目、12番ホールでセカンドショットがグリーンサイドのバンカーにさらに反対のバンカーまた、バンカーさらに3パットあり、パー4まさかの8打を擁し優勝戦線から後退、和合コースの深いバンカー、小さいグリーンの罠でした。彼はこの悔しさを晴らすのは4年後となります。
そいて、いよいよ最終日、3日目終わりトップはあの1件があった手嶋多一と藤田寛之、しかし優勝を手にしたのは、勝負どころの14番、16番でバーディーを奪ったプロ4年目の星野英正、アマ時代に日本アマ3連覇などタイトル56冠ながらプロ入り後、壁にぶつかっていた、プリンスのツアー初優勝でした。優勝イタビューで涙ぐみ「もうゴルフやめようかと思った時期もあったと」意外なコメントも飛び出しました。
手嶋選手は3打差の2位タイに終わります。さて2019年にゴルフのルールは大改正されますが、その中に【ビデオの証拠を使用する場合に適用する「肉眼」基準 委員会が裁定を行うときに事実問題を決定する場合、ビデオの証拠の使用は 「肉眼」基準によって制限される: • ビデオに映る事実が肉眼で合理的に見ることができない場合、そのビデオの 証拠が規則違反を示していたとしても採用しない。 189 規則 20】つまりVTR画面でそう見えても、実際目で見た合理的判断が優先。つまりゴルフは自己申告が原則のスポーツ、全選手の全プレーがVTRで収録されていないのであれば、一部の選手に網をかけるのは、不平等で本人現場で見た人の判断が優先ということです。他のボールスポーツはビデオ判定が主流になるなか、ゴルフは原点に戻る方向に舵をきります。この年のプレーが今ならどう判断されたのか私はわかりませんが、、、