岡山県真備町に行ってきました
小田川の氾濫で一階部分が完全に水に浸かってしまった家を見せて頂きました。
どの家も家財・家電を捨てて、壁や床をはがして、乾燥しているところ。
遠めにみると家自体はすっくと建っているのですが
近づいてみるとどこも一階部分はがらんどう。
水の流れで基礎部分まで露出してしまっている家もありました。
使えなくなった家財の山があちこちの広場や駐車場にありました。
生活を彩った思い出の品、財産だったものたちを
「災害ごみ」「がれき」とは言えませんでした。
ある方はこうした災害を以前から危惧していたと話してくださいました。
「小田川の堤防内、河川敷の部分は“森”になってしまっている。
木々がうっそうと生い茂っていて、万が一増水したときに
その流れの邪魔をしてしまう。
ずっと地域住民は伐採してほしいと要望していたのに叶わなかった。
あれさえなければ51人も犠牲にならなかったのではないか…」
案内を頂き、小田川の様子を見に行くと
たしかにそこは川でなく、森でした。
大木が野放しに生えている状態。
そして災害後に伐採が始まっていました。
残念ながらその51人になってしまった夫の最期を見たと
話してくださった方もいました。
「自分も首にまで水が迫っている中で
どうにか助けたかったけど水圧がすごくて…
対面できたのは一週間後だった。
棺の上に置かれた、当時身につけていた下着をみて、絶対これは夫だと、間違えるわけない」
「一ヶ月経ったけど、まだ泣けないのよ」とおっしゃっていました。
家族を失った悲しみが、まだ現実のものになっていない。
実感が湧かない。
一ヶ月という区切りに、被災地の課題や復興への一歩をお伝えしようと取材に行きました。
が、一ヶ月と言う時間の区切りには何の意味もないことを実感しました。