中日クラウンズの歴史
半世紀という長き歴史の中で、ひときわ輝いた男たちがいた。
人々は彼らに敬意を表し、こう呼ぶ、クラウンズ男と。
通算2勝
第9回大会で日本ゴルフ史上最長の1時間40分におよぶ鈴村久との9ホールのプレーオフを制し、当時の中日クラウンズ史上最年少優勝(25歳3ヵ月)を果たす。
一躍スターダムにのし上がった安田は、その後も日本のトッププレイヤーとして活躍した。
第11回大会では3日目に驚異の8アンダー62のコースレコードをマークする(現在は2010年 石川遼選手の58)。
最終日には安田を一目見ようと最終日に8500人のギャラリーがコースを埋め尽くした。
そして、通算12アンダーで2度目の優勝を飾り、クラウンズ男と呼ばれるようになった。
通算5勝
日本ゴルフ界のカリスマ
第10回大会に中日クラウンズ初出場。
G.プレーヤー、P.トムソン、G.マーシュ、そしてその年のマスターズ8位の尾崎将司など多彩な顔ぶれとなった大激戦の第14回大会で初優勝。
世界の強豪や宿敵の尾崎将司を破ってのビッグタイトル制覇は青木にとって、大きな自信となった。
第16回大会を制した後、第19回大会からは前人未到の大会3連覇を達成し、「クラウンズ男」の名を欲しいままにした。
また、大会3連覇達成の年の全米オープンではJ.ニクラウスと4日間わたりあい堂々の2位となるなど、まさに青木はクラウンズによって世に出て、そして世界へと羽ばたいて行ったのである。
通算5勝
日本ゴルフ界のカリスマ
中日クラウンズ初出場の第12回大会は初日、2日目とトップに立つも優勝を逃してしまう。
初挑戦以来、毎年のように優勝候補の筆頭に挙げられながらも惜敗を繰り返してきたが、17年目の第28回大会で2位に6打差という大差で念願の初優勝を果たす。
その後は第33回大会の2勝目をはさみ、第36回大会からは青木功に肩を並べる驚異の大会3連覇を達成するなど、クラウンズの、そしてジャパンゴルフツアーの王座に長く君臨した。