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中日クラウンズ⑪

2010年 51回大会 石川遼選手 世界最少ストローク「58」を記録しての逆転優勝 

その③ 過去2回、収録が始まるまでの石川選手のプレーぶり、私の胸の内をお伝えしましたが、いよいよ完結し

ます。


石川遼選手はすでに、14番ホールまでに10個のバーディーを奪い、優勝が見えきました。そして12時ごろ待ちに待ったディレクターからの声「収録します。キュー」その時、石川選手は15番ホール、パー5のセカンド地点に、喋り始めて覚えた、とてつもない違和感。普通のゴルフ中継のリズム、テンションではない。ゴルフ中継は、注目選手の1プレーお伝えして、オープニングタイトル、そして本編実況開始、スコア確認、コース賞金紹介、解説に見どころを伺いながら、さあ、プレー最終日ご覧いただきましょう。といった流れで、徐々に盛り上げていきますが。この日は過去に経験したことのない雰囲気、もう、せき止められた川の水が一気に流れ出したかのごとく、テンションいきなりマックス、画面には、白いポロシャツ、鮮やかな赤のパンツ、サンバイザー、スポーツグラスで表情を読み取れないものの、自信にあふれ威風堂々とした石川遼選手の姿が緑のコース上に映し出されています。まるで、戦隊ものの正義の味方ヒーローが現れたかのようです。そして赤い丸が14ホール中、10個赤丸が付いた信じられないホール成績CG(バーディーで表示

第一声は、「伝統のクラウンズ最終日、石川遼がすごいプレーをしています。積み上げたバーディー10個、、、」声の上ずりようは半端なかった気がしました。緊張で、心臓が飛び出しそうとはこういう状況でしょうか?素晴らしい出来事をしゃべれる喜びより、この奇跡のような出来事、歴史的な偉業が達成されるであろう、この状況をどう表現したらいいのだろう?称える言葉を全力で、絞り出しますが、どの表現も軽々しく感じてしまう、自分の言葉の能力を超える、ゴルフを石川遼選手が演じている。もっと、もっと、感動、共鳴できる表現を用意できないのか、興奮、緊張、あせり、自戒が頭をかけめぐり、荒い海の中でもがき泳いでいるような感覚でした。(経験はないですが)

収録開始しても間もなく、石川遼選手は15番パー5はセカンドショットも3W(ウッド)軽やかにまっすぐ飛ばし、グリーン手前50ヤード弱のアプローチをピタリ寄せ11個目のバーディーついに「59」ペース、そしてワンオンを狙える、続く16番3Wのティーショットは、高い球で林を超え狙い通りグリーン手前の真ん中のバンカーに、バンカーショットもお手本のように見事にピンに絡め、完璧な形でバーディーついに12個目のバーディーのツアータイ記録を樹立。「すごい本当に50台が出るぞ」ギャラリーの声が聞こえます。とレポートも入り、そこで、改めて「50台だ、過去の誰よりも少ない打数で今日を終えるんだ」と認識しなおします。

いよいよツアー新記録更新の「58」ペースになったのです。魔の17番ショートホールは難なくパー、そして18番ホール、ティーグランド後方からグリーン周りのギャラリースタンドまでびっしりギャラリーが取り囲む中、ティーショットを気持ちよく飛ばし、セカンドは3メートルのバーディーチャンスに。クラウンズ史上最高に大きな拍手と歓声の中ビクトリーロードを歩む石川遼選手は、18歳と思えない落ち着きぶり「はにかみ王子」はいつのまにか「堂々たる王者」に成長していました。本人は「ゾーンに入った?ふあふあした感じはしたけど平常心だった」と後で振り返った1日、最後のバーディパットはわずかに届かず、本人「あれが、悔しかった」少しのため息の後、割れんばかりのギャラリーの大きな拍手と声援が和合に響きました。気が付くと夢のスコア「58」物語は完結。「ありがとうと」いう声もギャラリースタンドからも聞こえた18番ホール。まさに『神が和合に、石川遼に、舞い降りた1日』となりました。

そして、大会後すべてのホールに音声を付けなおしてDVDが発売されました。そして、スコアカードのレプリカも添えられています。数字はマーカーのマークセン選手の記入、右下 石川遼のサインは本人。

ゴルファーの夢は、パー72の18ホールすべてバーディーで回ること。そうなればスコアは「54」それに迫る「58」をトーナメントで記録(和合はパー70)クラウンズのベスト「61」を一挙に3打更新したばかりか打数としては、日本と世界の「59」を更新(パー72で達成アンダーとしては13アンダー)「58」の打数は、世界主要ツアー(アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、アジア、南アフリカ)含めても世界最少打数の新記録、大会終了後ギネス記録に認定されました。

石川遼選手は、高校1年生で初めて出たプロツアーの試合でいきなり優勝しブームを巻き起こし、高校3年生で賞金王そして、翌年18歳7か月でこの世界記録を作りました。解説の川田太三さんは。「誰も予想できないことをやるのが石川遼なんですよ、だから予測してはいけない」とコメントまさに、こんな瞬間にマイクの前にいられたのは幸せと、同時に精神的にタフな中継でした。

その後、石川遼選手はアメリカPGAツアー挑戦も惜しくも勝利は上げられず、日本ツアーに復帰、昨年の中日クラウンズは腰痛のため、途中棄権で心配されまたが、JGTO選手会長を務めながらの国内メジャー「日本プロ」で劇的な復活優勝、さらに最終戦の「日本シリーズ」で17勝目をあげました。まだ、今年で29歳の石川遼選手、次はどんなサプライズを見せてくれるんでしょうか、中日クラウンズの奇跡からもう10年が経ちました。

コロナが終息し、世界中のツアーが再開され、より盛り上がる事を願いながら、「中日クラウンズ思い出」終わります

 

 

 

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