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中日クラウンズ思い出⑨

今回は、大会の歴史にもっとも印象に残る 石川遼選手が58ストローク

という当時の世界最少スコア、奇跡のラウンドで逆転優勝した 2010年の第51回大会です

いまだにゴルフファンの方は、あの試合ですねと思いだしてくれます。

 


スポーツアナウンサーとして、これほど興奮して緊張した実況は後にも、先にもありません。

石川遼選手は、前年4勝を挙げ史上最年少の賞金王に輝き、高校を卒業して18歳7か月で迎えた3回目の中日クラウンズでした。

3日目終わり、トップはアメリカツアーで活躍し日本ツアー復帰の丸山茂樹選手の-7 石川遼選手は6打差-1の18位タイからスタートと大きな差をつけられていました。(クラウンズ最終日の逆転記録は4打差まで)石川選手は9時20分スタート、トップ最終組は1時間10分後の10時30分スタート予定。私は8時50分くらいに練習グリーンで石川選手がパターを打つ姿を見ました、いつも大勢の関係者、メディアに囲まれているのに、珍しく周りに人も少なかった、練習の邪魔をしてもと思い、話しかけずに通り過ぎました。あの時、声をかけていても奇跡のスコアは出たのか?そのとき、石川選手は内心燃えていました。「最終日は攻める、パットはショートしない」ただ、クラウンズの和合コースは無理に攻め過ぎると、風も読みにくく、小さい砲台型グリーンを外れると、たちまちトラブルになり途中まで快調にスコアスコア伸ばせても、どこかで失速するという選手を何人もみてきました。ですから、今日は最終組かその前くらいの選手が優勝するだろうと予測していました。トップにPGA(アメリカでも3勝)実力者の丸山選手、和合で毎年のように優勝争いをする藤田寛之選手らがいましたし。(この常識が通用しませんでした)

しばらくして、石川選手が大勢のギャラリーに見守られ、1番のテーショット打ち、その後グリーン上はやや長いバーディパット、外れかけたと思ったボールが最後のひと転がりで反対に曲がりカップに吸い込まれて、何とかバーディとします。(1番はバーディの欲しいホール)しかし、まだ5打差。そして私は、上位選手の練習やスタートを取材、刻々と時間が過ぎていきます。すると石川選手が、2番の短いパー5もバーディ、難関3番をパーとすると、4番、5番とバーディという情報が「えっ5ホールで4つバーディ?」これは「石川選手は完全に優勝争いに加わる」と思い。しばらくして1番ホール付近を離れプレスセンターに入りスコアを確認、直後に6番、8番もバーディとの速報が入りもう石川選手、首位に並んでいました。映像は見えません。(後で知りますが、6番はセカンドショットが左に外れ、バンカーに落ちそうな斜面の途中で止まり、そこからグリーン面は下りの難しいアプローチがチップインするというミラクルバーディ、スコアを落としそうなところが逆にバーディーになり高々と左手で持ったクラブを突き上げていました)ますますびっくりして、少し焦りながら中継をする放送センターに向かいました(歩くと10分くらいかかります、18番ホールの外の駐車場の奥にあります)

ところが、途中の9番ホールグリーン10番ティーグランド付近のクラブハウス前は、石川選手が通過する時間が近くなりギャラリーがあふれて大渋滞。グリーンも見えずプレーを見ることも不可能。ギャラリーももう「遼君がすごいぞ」と興奮状態です。私は、8番ホールグリーンに迂回しながら、18番に向かいます。そして8番グリーン付近で、地響きのような、大歓声とどよめきを聞きます。石川選手がおよそ400メートル離れた向こう側の9番グリーンで、この日7個目のバーディを奪い単独トップになった瞬間でした。かつて経験したことのない熱い空気と興奮が和合コースをつつみこんでいるのです。初夏のような日差しがより強く感じられ、コースで夢か蜃気楼をみているような気分になりました。

あまりにも私のイージーな予想は裏切られ、想像以上のことを「石川遼」が起こす。

2010年5月2日のクライマックスは次回に、、、、

 

 

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