中日クラウンズ思い出⑧
2009年 「第50回」の記念大会
民間ゴルフトーナメントのツアー競技として初の50年連続の開催、日本の全国規模の試合では、「日本プロ」 「日本オープン」に次ぐ歴史、半世紀50回記念大会でメモリアルな話題がいっぱいでした
まず、永久シード選手7人(ツアー競技25勝で与えられる栄誉)が全員出場 なかでも 杉原輝雄選手(当時71歳)は 第1回大会から休みなくこの大会までフル出場し(5回大会の優勝者)記念のトロフィーなどが授与され、青木功選手(当時66歳、クラウンズ5回最多優勝)に加え、尾崎将司選手(当時62歳、39回連続出場、過去5回最多優勝)中島常幸選手が34回目、倉本昌弘選手(現在はクラウンズ解説者)に、46回大会優勝の尾崎直道選手
そして、前年、25勝をクリアした片山晋呉選手(クラウンズ45回と47回優勝)も永久―シード入り果たし参戦。42回大会チャンピオンのダレン・クラークも招待されました(残念ながら予選落ち)
火曜日夜の感謝の夕べの華やかなセレモニーでは17人のチャンピオンも招待されました。水曜日朝のTBSの番組で青木選手、石川選手が和合コース内で生出演。石川選手は2度目の出場「歴史を感じる大会、100回大会に出場できるような息の長い選手になりたい」と発言。石川選手の50年後は69歳(今年中止だったから70歳の時)で現役。青木選手は2017年の中日クラウンズ74歳のとき、ツアー最年長出場記録を作ります。可能性はありますね。青木さんはプロデビュー当時「遼は、賞金王獲る力あるよ」と予言していました。
レジェンド歴史の重みを感じながら大会は開幕、石川遼選手が大ギャラリーに囲まれてのラウンド、初日は-4と好発進、和合で初めてのアンダーパーしかし、2日目らスコアを伸ばせず、優勝争いに顔を出せません。しかし最終日は14番、16番、18番でバーディフィニシュ、大きな可能性を感じさせ大会を終えます。事実その年は、この後4勝を挙げ、19歳で最年少賞金王に輝き青木さんの予感は的中、そして翌年「中日クラウンズ」であの奇跡を起こすのです。(次回掲載予定)
優勝は、平塚哲二選手 日本シリーズ優勝経験のある実力者、前年までの怪我、不調から立ち直り、この大会は2日目から、2位以下を大きく突き放し優勝(7打差)「このコースは、首位に出ても 安全に行きすぎず、攻める気持ちも必要」とコメント、アイアンの精度が素晴らしいく大きなトラブルなく安定したプレーを続けました。
始まる前の、お祝い事、セレモニーが凄くて、本大会の印象が薄くなるくらいでしたが、、、ギャラリーが多く華やかな大会でした。