歴史ある熱田球場
きのうの愛知大学リーグは、
熱田愛知時計120スタジアム(熱田球場)で行われました。
かつては高校野球の愛知県大会決勝が行なわれており、
甲子園を目指す球児たちにとっての「聖地」でした。
グラウンドキーパーの鬼頭さん。
昨年から熱田球場を担当しており、
グラウンド整備から外野の草むしり、道具の管理まで幅広く行なっているそうです。
「かつてここでプレーした選手が、様々な形で戻ってくるんです。
歴史と伝統がある球場なので、」
名城大学の安江監督も、
社会人野球の電電東海(のちNTT東海)時代、この熱田球場で何度もプレーしたそうです。
「当時、社会人は金属バットだったので、よく打ち合いのゲームになりましたね。
(熱田球場は)その時以来ですかね、いろいろ思い出しましたよ。」
と感慨深げでした。
近年、高校野球の開催は少なくなってきましたが、
軟式野球の社会人大会や、草野球大会などで使用されています。
鬼頭さんによると、そのプレーヤーの中にも、
かつて熱田でプレーした選手がたくさんいるそうです。
選手として、指導者として、あるいはファンとして。
愛知県の野球人にとって、熱田という舞台は特別な意味を持つのかもしれません。
夏の決勝といえば熱田球場、というのも過去の話。
2008年の西愛知大会決勝を最後に、決勝戦は行なわれていません。
両翼91.4m センター115.8mという大きさは、
現代の野球場としてはかなり狭い部類に入ります。
建物も老朽化は否めません。
それでも、地域に溶け込んだ歴史と伝統のある球場として、
いつまでも残ってほしいと思います。
売店の冷凍みかん缶はまだあるのかな・・・