甲子園とことん野球しませんか?

北辻利寿

2017年9月27日


画像:足成

その記念碑は校門を入ってすぐの場所にあった。
青森県三沢市にある県立三沢高校の校舎は、おだやかな春の光に包まれていた。
そして記念碑には大きな文字で「栄光は永遠に」と書かれていた。
今から半世紀近く前の1969年(昭和44年)、夏の全国高校野球大会で準優勝した野球部の功績を讃えてのものだ。

あの夏の三沢高校は、準優勝という"記録"以上に、太田幸司という投手の名前と共に
人々の"記憶"に残っている。
甲子園での決勝は、青森県代表の三沢高校と愛媛代表の松山商業高校の対戦となった。
三沢の太田幸司と松山商業の井上明、両投手は一点も与えず、ゲームは延長18回で0対0。
大会ルールによって再試合となり、翌日のゲームで松山商業が4対2で三沢を下して、優勝旗を手にしたのだ。
再試合を継投で闘った松山商業に対し、三沢は前日に続き太田投手がひとりで投げきった。18回と9回、太田投手は決勝戦で実に27回を投げたのだ。
小学生だった私が甲子園での高校野球を強烈に意識したのは、まさにこの名勝負からだった。
今も鮮明に覚えている。

そんなゲームはもう見られなくなりそうだ。
日本高校野球連盟は、来年春の選抜大会から「タイブレーク」制を導入することになった。11月に開かれる理事会で正式に決まる動きだ。
タイブレークは、試合を早く終わらせるためのルールで、すでにワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などでも導入されている。
ドラフト会議注目の清宮幸太郎選手や中村奨成選手が出場した今夏のU-18ワールドカップでも、タイブレークの末に日本が勝ったゲームがあった。
高校野球で導入されるルールは、9回で決着がつかず延長戦に入った場合、13回からは「無死1・2塁から攻撃を行う」というものである。

タイブレーク制を導入する背景には、選手の健康面を考え負担を軽減しようという狙いがある。
今年春の選抜大会2回戦では、延長15回引き分け再試合がなんと2試合もあり、これがタイブレーク制への背中を押したようだ。

もともとは限度なく延長戦が続いていた高校野球も、三沢対松山商業の決勝からさかのぼること11年前、1958年(昭和33年)に「延長18回で打ち切り・再試合」。
そして2000年(平成12年)には、それをさらに縮め「延長15回で打ち切り・再試合」と改革は進められてきた。
延長18回と15回、このルール変更の合い間にあったゲームが、1998年(平成10年)夏の大会の準々決勝で、横浜高校の松坂大輔投手が、PL学園相手に250球を投げて勝った名勝負である。
そして、ルール変更後にあったゲームが、2006年(平成18年)早稲田実業高校の"ハンカチ王子"斎藤佑樹投手と駒大苫小牧高校の"マー君"田中将大投手が、決勝で延長15回を投げきった激闘である。
そのいずれもが高校野球史に残り、今なお語り継がれている。
こうした歴史もルール変更によって"今は昔"となりそうだ。これでいいのだろうか?

日本でこのタイブレーク制導入が話し合われていたほぼ同じタイミングで、海を越えた米国のメジャーリーグでは、イチロー選手が初めて"投げない敬遠"を体験していた。
これは試合時間短縮のために今季からMLBが採用した新ルールで、守備側の監督が球審に敬遠の意思を告げると、投手は1球も投げる必要なく、打者は四球となって1塁ベースで進むというものである。
初めての経験にイチロー選手は「ダメ。面白くない。ルールを戻すべき」と語ったそうだ。野球漫画『ドカベン』に登場する明訓高校の岩鬼正美選手は他の選手が打たない"悪球"を見事に打つ選手なのだが、敬遠のボールを打つドラマも新ルールではなくなってしまうのだ。これでいいのだろうか?

今回のタイブレーク制導入について、グランドの主役である選手たちはどう思っているのだろう。
はっきりと自分の言葉で「駄目だし」ができるプロのイチロー選手と違って、高校球児たちに意見を言う場はあるのだろうか?
延長戦によって感動をもらうのはゲームを見守る私たち観客だが、勝つ喜びや負ける悔しさなど直接的な感動を得るのは、グランドで闘う選手たちである。
悔いなくとことん闘ってほしいと願う。
「栄光は永遠に」・・・東北の地の高校に立つ記念碑の言葉が胸にしみる。 

【東西南論説風(11)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】