避けられない天変地異、ならば...。三陸鉄道から学ぶ"レジリエンス"

石塚元章

2015年3月12日

◆あの震災から4年が経ちました。何回か現地に入りましたが、とくに何度も取材させていただいたのが「三陸鉄道」。その後、例の国民的ドラマの舞台となったあの鉄道です。岩手県沿岸部を走る第3セクターで、廃線の危機に直面していた国鉄時代からの鉄路を、なんとか残そうと誕生しました。

震災直後の現地では、13メートルもの高さがあったはずの高架が津波で崩壊し、文字通り飴のように垂れ下がったレールや、島越(しまのこし)や田老(たろう)の駅周辺(島越は駅があったはずの場所...でしたが)ですっかり姿を消した街並み。目の当たりにしたその光景は脳裏に焼きついています。

 トンネルの中で停車した列車から乗客を連れて脱出した運転士さんや、手旗信号で運行に挑んだ社員の方...。「列車が動けば住民に力を与える」との信念で、震災後5日で一部区間とはいえ列車を運行させた社長の決断。     そこには震災に限らず、"万一のとき"に備えて我々が学ぶべきことが、数多くあります。

◆最近、「レジリエンス」という言葉が注目されています。「回復力」「復元力」や「しなやかさ」など、使われる場面によって微妙に異なりますが、ダメージを受けても折れずに立ち直る力...というような意味でしょうか。

 人類は、災害にまったく遭遇しないというわけにはいきません。となれば、被災したあと、いかに復興(回復・復元)していくかという対応力が大きな意味を持ってきます。

 天変地異の場合にあてはめれば、それは被災したひとりひとりの心の問題でもありますし、被災地を助けようとする周辺の人・組織・自治体・国の問題でもあります。さらに、ハード面にも当てはまる考え方でしょう(そもそもが物理学の用語だそうですが)。

 三陸鉄道の4年間は、「レジリエンス」のケーススタディであり、実例でもあったのかと改めて思うのです。

◆なんとか全線開業にこぎつけた「さんてつ」。とはいえ、駅周辺に以前のような街並みが戻ってきたわけではありません。三陸鉄道の戦いはまだ続いています。

 震災から4年を前に、三陸鉄道の望月正彦社長に久しぶりにお話を伺いました。「被災地に観光などででかけるのは、はばかられるという人もいると思いますが、そんなことはありません。是非、どんどん来てください。美味しいものが目的でも、景色を楽しみたいでもいいんです。とにかく来て、見てもらうことが大事だと思います」。

 

 

← 三陸鉄道はいま「震災学習列車」を走らせている。写真は、震災から4年目の2015年3月11日の震災学習列車。社員らがガイド役で同乗し、震災時の様子や復興の現状を説明しながら沿岸部を走る。犠牲者が多かった場所では停車し、黙とうも。

(三陸鉄道:提供/上の写真も)