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BACKSTAGE(バックステージ) ”挑戦”に秘められたこだわりと仕事愛

CBCテレビ製作/TBS系全国28局ネット
毎週日曜よる11時30分

ARCHIVE

2020年2月23日放送
第44回

山本寛斎や蜷川実花が認める!ヘアメイクアーティストの「人間力」とは?

谷まりあ 谷まりあ
ヘアメイクアーティスト 冨沢ノボル

日本を代表するヘアメイクアーティスト・冨沢ノボル。この道一筋28年。ファッション・広告・映画・音楽・CMなど、あらゆるジャンルを手掛ける。デザイナーの山本寛斎さんや写真家で映画監督の蜷川実花さんをはじめ、一流アーティストたちが認める、冨沢の「人間力」に迫った。

<“冨沢ノボル流”ヘアメイク>
原宿のガーリー系ストリートブランド「MILK」の付録付きブックの撮影。撮影イメージは「カワイイけどちょっと毒の効いた16歳の少女」。冨沢は、22歳のモデルのヘアスタイルとメイクを仕上げる。モデルを迎える前に、メイク台を綺麗に整理整頓するのが冨沢のルール。タオルの折り目やメイク道具の向きまできちんと揃えて、徹底的に“美”にこだわる。そして、メイクをするときは常にモデルとの日常会話を交わしながら。その理由は、表情の変化を観察するため。カメラに写る姿を想像してメイクの方向性を決めるのだ。メイク開始から1時間30分。22歳のモデルが16歳の少女へと見事に変身を遂げた。

<トップランナーの「飽くなき好奇心」>
日本を代表する存在になった冨沢だが、アシスタント時代から通っている理美容関係者専門の問屋では、今でも興味深そうに色々なアイテムを手に取って試す。また、自宅のアトリエでは、ウィッグを創作したり、メイクのデザインが描いたりして過ごす。子どものようにイメージを膨らませて、ときには100枚以上のデッサンを描くことも。
「何でも好奇心旺盛に試してみる。経験が多いほど、人間としても面白い」

<若き日の苦悩と転機>
28歳の時、自分の腕を試すために、ニューヨークへ渡った冨沢。しかし、そこには想像以上に高い世界の壁があった。
「向こうの人たちは技術的にもすごい。心が折れるぐらいカッコイイものを作る人がいた」
挫折感を味わい、悪戦苦闘の日々。そんななか、運命の仕事が舞い込んだ。それは、当時世界から注目されていたアーティスト「ピチカート・ファイブ」のアメリカ横断ツアーでのメイク。このツアーで実力が認められ、次々と仕事の依頼が殺到したのだ。

<起用され続ける理由>
しかし、当時はこだわりのあまりメイクに時間がかかりすぎることも。それでも、売れっ子でいられた理由は冨沢の人柄にある。「ピチカート・ファイブ」をはじめ、多くの作品で冨沢に仕事をオファーし続けたアートディレクター・映画監督の信藤三雄さん曰く、起用し続けた理由は「人間力」。冨沢がいると現場が楽しいため、時間がかかっても許せてしまうのだという。そして冨沢自身、誰よりも仕事を楽しんでいる。
「とにかくみんなが大好きで撮影に行くのが楽しかった。僕の場合は、ただ好きでやっているだけ」
全力で楽しむことで、道を拓き続けてきたのだ。

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