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BACKSTAGE(バックステージ) ”挑戦”に秘められたこだわりと仕事愛

CBCテレビ製作/TBS系全国28局ネット
毎週日曜よる11時30分

ARCHIVE

2019年12月8日放送
第34回

「リカちゃん人形」衣装デザイナーの男性に密着“レースの貴公子”逆境から救った師匠とは

千秋 千秋
リカちゃん 広瀬和哉さん

1967年に誕生した「リカちゃん人形」。時代とともに進化を続け多くの人々に愛され続けている。そんなリカちゃんの現在のブームを支えているのが、人形衣装デザイナーの広瀬和哉さん。オリジナリティ溢れるレース使いから、ついた異名は“レースの貴公子”。現在は、リカちゃんの誕生日(5月3日)に合わせて発売される限定衣装「2020年バースデーモデル」の製作に向けて準備を進めている。

広瀬さんが勤める「リトルファクトリー」は、リカちゃんの販売元「タカラトミー」からライセンス許諾を受けて、人形本体やそれに合う服・アクセサリーなどを製造販売している会社。広瀬さんはその全てのデザインを行っている。
「リカちゃんが好きという一心。僕にとってリカちゃんは、スーパーモデル」
リカちゃんの衣装デザイナーになって6年。毎年20作以上の新作を生み出している。

広瀬さんがリカちゃんに出会ったのは、小学1年生のとき。お姉さんが持っていたリカちゃんで遊ぶようになったが、それが悩みの始まりに。
「周りで同じような男の子がいなかったので、自分はこれでいいのかなという葛藤を抱えていた」
そんな日常に希望を与えてくれたのが、「ヴォーグ学園」で講師を務める本多淑人先生。数々の名作を生み出した着せ替え人形の第一人者で、広瀬さんの師匠。中学3年生から本多先生の元に通い衣装作りを学び始めた広瀬さんは、その実力を認められ現在の会社にスカウトされたのだ。

誕生日モデルの衣装をデザインするため、この日訪れたのはファッション最先端の街、東京・表参道。広瀬さんは街角に立つと、道行く人々のファッションを観察しはじめた。リカちゃんは、誕生以来その時々のトレンドを取り入れ、顔や体型も時代に合わせて変化している。そのため、衣装をデザインする上で“今”を知ることがとても大切なのだ。後日広瀬さんのもとを訪ねると、デザイン画が完成していた。ドレスの参考にしたのは、表参道で多く見かけたひらひらとしたスカート。胸部分には、広瀬さん得意のレースが描かれていた。

続いては型紙作り。リカちゃんのサイズを知り尽くしている広瀬さんだが、毎回採寸を行うのがルーティーン。頭の中で出来上がりを想像し、一つ一つ型紙を作っていく。リカちゃんの大きさはわずか22センチ。1ミリ違うだけでシルエットも大きく変わるため、何度も確認を行いながら作業を進める。

そして、大変なのが生地選び。訪れたのは、20軒以上の生地店が並ぶ東京・西日暮里。まずは、手当たり次第に布を触り感触を確かめていく広瀬さん。気にしているのは、生地の厚さ。リカちゃんの服は小さいため、薄手の生地の方がスッキリと仕上げられる。
「触ったときにいいとわかるので、その直感を大事にしています」
広瀬さん曰く、人間用に作られた生地の中からリカちゃんの衣装に合う素材を見つけるのは、まるで宝探し。膨大な種類の布の中から探すこと半日、イメージ通りの生地を見つけ出すことができた。

衣装のデザインだけでなく、リカちゃんのヘアスタイルを決めるのも広瀬さんの仕事。この日は、誕生日モデル用の髪型を決めるため、工場がある福島県の本社へ。広瀬さんは職人さんと作った微妙に異なる2つの髪型を見比べて、そのうち1つを採用した。
「カワイイかカワイくないか、トキメくかトキメかないか。微妙な違いだけど、その差が仕上がりに大きく関わってくる」
髪型を決めて東京に戻ると、すぐに衣装作りを開始。ミシンに向かって作業に没頭する広瀬さん。小さな衣装を縫うのはとても繊細な作業。片側の袖部分を作るのに約5時間を費やした。

衣装の試作品が出来上がった。しかし、広瀬さんは納得がいかない様子。これから修正を加えて作り直しを行うという。可愛さをとことん追求し、決して妥協は許さない。
「お客様にカワイイねと言ってもらえるようなドレスをこれからもっと作っていきたい」
自分が何より愛するものを多くの人に愛してもらうために、広瀬さんは今日もミシンに向かう。

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