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BACKSTAGE(バックステージ) ”挑戦”に秘められたこだわりと仕事愛

CBCテレビ製作/TBS系全国28局ネット
毎週日曜よる11時30分

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2019年11月17日放送
第31回

沖縄唯一のフィギュアスケートコーチ!全国大会出場をかけた挑戦

りゅうちぇる りゅうちぇる
沖縄唯一のフィギュアスケートコーチ 津留豊さん

年間平均気温が20度を超える常夏の地・沖縄県。ウィンタースポーツ不毛の地と言われるこの場所で、フィギュアスケートを教える男性がいる。彼の名前は、津留豊さん。沖縄にやってきた初めてのフィギュアスケートコーチ。未来のスターを育てるために、日々指導に励んでいる。

津留さんは、元日本代表のフィギュアスケーター。23歳の時に現役を引退し、地元福岡で指導者の道へと進んだ。当時はまだ沖縄にフィギュアスケートのクラブがなかったため、指導する子どもたちの中には、沖縄から福岡までレッスンに通う子もいたという。熱心に教わろうとする沖縄の子どもたちとフィギュア界の未来のため、10年前に沖縄に移住しフィギュアスケートクラブを創設。現在は、朝と夕方の1日2回、小学3年生から大学2年生までの生徒11名を指導している。

津留さんのレッスンが行われているのは、沖縄・南風原町にある県内唯一のスケートリンク「エナジックサザンヒル」。クラブに通う生徒のほとんどは、全国レベルで活躍できるトップスケーターを目指しているため、誰もが真剣そのもの。普段穏やかな津留さんも、時に厳しく指導を行う。クラブの期待の星は、中学3年生の山田琉伸選手。3歳でスケートを始め、小学5年生の時に全国大会で7位に入賞。今は、西日本選手権に備えて、猛練習の日々を送っている。津留さん曰く、山田選手の武器は“しなやかさ”。ただし、弱点もある。それがジャンプ。大会で結果を出すためにはジャンプの成功が不可欠だが、山田選手の3回転ジャンプ成功率は、現在30%ほど。それを大会までに克服しなくてはならない。

今では期待の選手も育ってきているが、指導は苦労の連続。日々、試行錯誤しながら子どもたちに教えているという津留さん。他にコーチがいないため、指導だけでなく演技用の音楽の編集から振り付けまで、全て一人で行っている。さらに、レッスンが終わると生徒のスケート靴を預かり、メンテナンスまで。一般的にメンテナンスは業者に頼むものだが、沖縄には業者がないため自らやっているのだ。

元日本代表という輝かしい経歴を持つ津留さんだが、過去には選手生命の危機にされされたこともある。中学3年生の時に事故で膝の下を切ってしまい、全治6か月の大けがを負ったのだ。医師からフィギュアを続けるのは難しいと告げられ、一時は辞めることも考えたという。しかし、このけがこそが転機に。
「自分はまだ何もやり遂げていないのに、終わっていいのかっていう思いがあった」
そこから懸命にリハビリに励んでけがを完治させ、高校生から選手として復帰。猛練習を重ねてどんどん成績を上げていき、大学生の時に日本代表に選ばれるほどの選手となった。“諦めなければ、道は開ける”そんな津留さんの教えのもと、必死に練習を続ける山田選手。本番を間近に控え、3回転ジャンプの成功率も少しずつ上がってきた。

西日本選手権当日。山田選手が出場するのは、中学2年生から大学2年生までが出場する「ジュニア男子シングル」。この日は「ショートプログラム」が行われる。翌日の「フリースケーティング」に進むためには、24位以内に入らなければならない。しかし、出場する選手の大半は山田選手よりも年上。自己ベストを出しても勝ち進めるかわからないほど、その壁は高い。

そして本番。苦手だった3回転ジャンプが見事成功。津留さんが褒めていた得意のスピンも決めて、大きなミスなく滑り終えた。点数は、自己最高得点の40.42点。見事24位でショートを突破した。しかし、翌日のフリーでは、ジャンプでミス。総合24位という結果で大会は幕を閉じた。
「ショートを突破したのは、彼にとって良い経験。今後に生かしてくれたらいいなと思う」
沖縄から全国へ。津留さんと生徒たちの挑戦はこれからも続く。

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