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BACKSTAGE(バックステージ) ”挑戦”に秘められたこだわりと仕事愛

CBCテレビ製作/TBS系全国28局ネット
毎週日曜よる11時30分

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2019年6月23日放送
第12回

全国800店舗!こだわり麺でラーメン文化を支えるスゴ腕職人

村上純(しずる) 村上純(しずる)
おのののか おのののか

ラーメン界に“麺”革命!小さな製麺所の麺職人 石倉康晴さん(49歳)

ラーメン界に“麺”革命!小さな製麺所の麺職人 石倉康晴さん(49歳)

作るだけでは終わらない…1日4万食!800店舗へ麺を届ける

今や「ラーメン」は、日本を代表する国民食。話題の店の前には、毎日のように行列ができている。そんな人気ラーメン店をBACKSTAGEで支えているのが、麺職人の石倉康晴さん。彼が働いているのは、東京・浅草にある「浅草開化楼」。広さ40坪、従業員約40人の小さな製麺所ながら、全国のラーメン店から注文が殺到。1日4万食、全国約800ものラーメン店に麺を届けている。

麺作りは、毎朝5時半に始まる。工程は大きく分けて3つ。まずは、配合した“粉”と塩分を含んだ“かん水”を練って生地を作る。続いて、練った生地を帯状に伸ばして巻き“麺帯”を作る。そして、麺帯を機械に入れて麺の形状に切り出していく。これらを一日ほど寝かせてから、一つ一つ袋にパックして出荷するのだ。全ての工程に人の手が入っており、石倉さんは、最終的に麺の形を決める“切り場”という場所で、麺を切る作業を担当。しかし、ただひたすら同じ麺を作り続けるわけではない。スープの個性に合わせて、お店ごとに生地の配合・麺の形・太さ・長さを変えて作っていく。千葉県の市川市にある人気店「長男、もんたいちお」には、超濃厚スープに合わせた極太麺。東京・自由が丘の人気店「蔭山樓」は、鶏白湯スープに絡むちぢれ麺。切り出す刃の形を変えながら、次々と麺を作っていく。そして、東京神田の「勝本」で人気なのが、一度で2種類の麺が楽しめるつけ麺「清湯(しょうゆ)つけそば」。この麺を手がけたのも石倉さん。
「なんとか麺で個性を出したいと思って、僕のほうから提案させてもらいました」
つるつるもちもちの平打ち麺と、歯切れのいい細麺の2種類が楽しめるつけ麺は、別々に食べても、混ぜて食べても美味しくなるように、麺の長さまで計算して作られている。

午後1時まで一心不乱に麺作りを行い、4万食を製造。石倉さんは、これからお客さんのお店へラーメンを食べに行くという。向かったのは、先ほど2種類の麺を作っていた「勝本」。午後2時を過ぎているにも関わらず、お店の前には行列ができていた。
「自分の麺を使ってくれているラーメン店で行列見ることほど、幸せなことはないです。ついニコニコしながら並んじゃう」
1時間待って、ようやく店内へ。店主と会話を交わし、自分の作った麺を改めて味わう。こうして、常に味を確認し、お店との信頼関係を築くことも麺作りには欠かせない。

数々の人気ラーメン店の麺を手がける石倉さん。実は、意外な経歴の持ち主で、元々はプロレスラー・大仁田厚さんのマネージャー。30歳で辞め、浅草開化楼に入社した。
「30歳で入ったときに、年下の先輩がいっぱいいたんです。現状を打破するためには、会社で誰もやっていないことを探して、やるしかないなって」
そして、オリジナル麺の開発をはじめた石倉さん。当初は社内で反発もあったそうだが、10年前につけ麺ブームの火付け役とも言われる「六厘舎」のために、麺専用の粉「傾奇者」を開発。その麺が「スープを付けずに食べても美味しい」と注目を集めた。それ以降、石倉さんが作る麺を求め、全国のラーメン店から依頼が殺到。次々と“ヒット麺”を生み出した。今では、浅草開化楼の広告塔として様々なメディアにも出演している。
「僕が少しでも有名になったら、一緒にやっている仲間のラーメン屋さんや、美味しいのに苦労しているお店を紹介してあげられる」

石倉さんが常に考えているのは、ラーメン業界全体のこと。自分たちが作り上げた麺を日本中に伝えたいという思いから、苦労して開発したレシピを公開。工場見学まで行っている。この日も、山口県で製麺所を営む同業者が工場見学に訪れ、石倉さんから麺作りを教わっていた。これからも全国に美味しい麺を届けるため、石倉さんの挑戦は続く。

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