ボクシング世界最速三階級王者
田中恒成 戦いの軌跡
2015年5月30日 WBO世界ミニマム級王座決定戦 vsフリアン・イエドラス
中部に新チャンピオン!田中「5戦目奪取」の期待にこたえた
「実感はまだないです。いつもどおり試合をしたらベルトが来た感じで……」
生まれたてのチャンピオンは感想を聞かれるたびにこう答えていた。
「皆さんにもおめでとうございます」
「世界王者になってどんな景色が見えるのかと思っていましたが、目が悪くて見えません」
リング上のテレビ・インタビューでもひょうひょうとした受け答えをしたものだ。本当に世界チャンピオンになった実感はまだわいていないのだろう。プロデビューしたのが1年半ほど前のこと、その少し前は高校インターハイを戦っていた田中なのだ。
今回田中が打ち立てた記録――。
・5戦目奪取(国内最短記録)
・10代世界王者(19歳11ヵ月、日本人4人目)
・中部勢11年ぶりの王者(戸高秀樹以来5人目)
・師弟王者(国内4組目)
とまあ、ずらずら並ぶ。最も脚光を浴びた記録はもちろん5戦目挑戦だが、田中は気にする余裕もあまりなかった。ただ「絶対に勝たなければならない試合」とだけ決めて19歳はリングに立ったのだ。
試合開始のゴングが鳴ったのは午後4時すぎ。田中は最初から速いスピードで飛ばした。クイックな左ジャブをビュンビュン突き、右も振り抜く。これが早くもイェドラスの左フックとドンピシャのタイミングで交錯。
イェドラスは「田中に脚を使わせないようにする」と息巻いていた。背は低いが全身がこれ筋肉の塊のようにたくましく、見るからにパワー系の選手。田中の好きにさせてはやっかいと、じりじりとプレッシャーをかけてきた。
そのイェドラスの右クロスが初回終盤に襲った。田中は思わずバックステップ。メキシカンのあいさつ代わりの一打だったが、しかし田中はすぐさま立て直して再び攻めを続行し、バチーンと右アッパーをお返ししてイェドラスの動きを止めてみせた。手をゆるめず、ラウンド終了間際には左ジャブであおってから右ストレートも打ち込むなど、気の強いところをみせた。こっちは引かないぞと、対決姿勢を鮮明にするかのような田中の反撃は、イェドラスの心理面にいくらかの影響を与えたとも思えるのだ。
田中は守りに入らず、初めから攻撃姿勢だった。原隆二に挑んだ試合では東京のリングで緊張したか、序盤は手が出なかった。しかしこの日の大一番は出だしから持ち前のスピードを攻撃に存分に生かしていた。
田中の動きは2回に入ってより左右にもめまぐるしいものとなり、左ジャブ、右ストレートそして左フックとまとめ打ち。これがよく当たる。リズムに乗って見舞った右ストレートでイェドラスを後退させた。パークアリーナ小牧を埋めた4500観衆のボルテージがグーンとアップし、またそれに背中を押されているかのような田中の攻勢だ。
この調子で好打し続ければKOもしくはストップ勝ちがありえるのではと期待させる一方、これはこれで一抹の不安を抱かせるものだった。イェドラスはタフでしり上がりに調子を上げるタイプ。キャリアの浅い田中は飛ばしすぎがたたって失速し、後半に地獄を見るのではないか、と。
実際イェドラスはいくら打たれようとひるまない。見えていないのか、右のアッパーをたびたびアゴに食らっても、ガードの両腕を絞って前進を繰り返し、ボディーから田中を削ってくる。田中が腹を守ればすかさず顔面に左右のフックを狙ってくる。
4回あたりになると田中が接近戦に付き合う場面が散見しだした。カウンターをヒットしつつ、イェドラスのお株を奪って自ら体で押し込むところもあり、これを余裕と受け取ることもできたが、精神面でプレッシャーは感じていたようだ。イェドラスの攻めは単調とはいえ、ジャブを使って意外に上下の打ち分けがうまい。相手がその場で止まってくれたら図に乗ってどんどん来るし、田中ペースだった戦況にやや変化が出てきた。
6回はジャッジ全員が初めて一致してイェドラス優位とした。ラウンド終盤に左右のショートフック。田中がプロでこれだけ打たれたことはない。思わず田中陣営から「付き合うな!」と声が飛んだ。あとで畑中清詞会長も「ひやひやしたよ」と言っていた。
それでも田中はやはり並のルーキーではない。イェドラスにしつこく迫られ、押し込まれての苦しい場面だが、一瞬の隙を逃さず速射砲で盛り返す。7回は左フックを効かせて追撃し、イェドラスを棒立ちにさせた。さしものタフマンも8回になると疲れがうかがえる。
中盤の厳しいつばぜり合いをしのぐと、終盤は距離を再び置いた戦法にシフトした。そこでイェドラスをさばきながら、ギアを上げて攻め込む場面をつくったり、スイッチで翻ろうしたり。5戦目とは思えぬ試合巧者の一面を披露した。序盤のチャンスで一気に決めての劇的勝利もいいが、田中のボクシングが若さと勢いだけではないことは証明されたはず。この試合を大きな経験としてさらに“中部の怪物”らしくなっていくことが期待できる。
プロ初体験の12ラウンズを戦い終え、117-111、117-111、115-113のスコアで「新チャンピオン!」のコールを受けた田中。「ベルトは重たいですね、でも本当にうれしい」「ここで負けたら終わりのような気持ちで……。負けても頑張ったとは言えない、ここだけは勝たないといけない試合でした」。周囲の期待に応えた意義ある勝利だったとの思いはあった。中部が待ちに待ったヒーローの誕生を歓迎したい。
控室にはさっそく高山勝成が祝福に訪れた。田中本人は「疲れました。まだ先のことは考えられない」と話すにとどめたが、IBF王者との統一戦は早くも話題になっている。
(提供:BOXING BEAT)