CBC防災ステーション宣言

CBCテレビの防災企画・報道特別番組

「チャント!」東海地方から防災を考えるSP

CBCテレビは、名古屋大学減災連携研究センター、中日新聞、一般社団法人中部地域づくり協会地域づくり技術研究所と、発生が危惧されている南海トラフ巨大地震並びに巨大台風による風水害、その他の大規模災害に備えて、地域の防災力を高めるため、相互に連携して、協力して啓発活動に取り組みます。

10月3日放送 御嶽山噴火から8年

岐阜県と長野県の県境にそびえ立つ、御嶽山。
紅葉シーズンまっただ中の2014年9月27日、水蒸気爆発で58人が死亡、5人が行方不明に。
2022年、相次いで開設された周辺施設には噴石の威力を物語る「遺品」などを陳列。
さらに、登山客に発信器を渡して、噴火を想定した初めての避難訓練が行われました。
現地で火山活動の観測を続ける、名古屋大学のキム・ヘンユン特任講師と、噴火の「教訓」と「次の火山災害への備え」を考えました。

9月1日放送 伊勢湾台風と養老町

63年前の1959年(昭和34年)夏、岐阜県養老町はおよそひと月の間に、2度の大水害に見舞われました。
8月には集中豪雨で川の堤防が決壊、「輪中」地域が広く「泥の海」と化しました。
そして9月、あの伊勢湾台風で再び浸水被害に。
しかし、建物や農地が全滅した一方で、住民の命は守られました…いったいなぜか?
河川工学が専門の、名古屋大学・田代喬特任教授と、2つの大水害を経験した住民の「記憶」と、地域に脈々と伝えられてきた「教訓」に迫ります。

8月1日放送 安政東海地震と「大浜陣屋日記」

江戸時代、愛知県碧南市にあった役所、大浜陣屋。
そこでは、1854年にあった南海トラフ巨大地震、安政東海地震で寺院にどんな被害があったかが、「大浜陣屋日記」という貴重な史料につづられていました。
日記と、寺に残っている記録を照らし合わせれば、境内での被害の状況が明らかに。
また、今でいう「液状化現象」が起きた場所も。
過去に思いをはせ、未来の災害に備えるため、名古屋大学の都築充雄特任教授とひも解きます。

7月4日放送 「昭和47年7月豪雨災害」~記憶を伝える課題~

50年前の昭和47年(1972年)7月、集中豪雨で、愛知県豊田市を中心に、土砂崩れや河川の氾濫で多くの死傷者が出た「昭和47年7月豪雨災害」。
被害が大きくなった原因は、花こう岩が風化した「まさ土」という、もろくて水を含みやすい「土」。
また被害があった豊田市の小原地区(旧・小原村)、そして藤岡地区(旧・藤岡村)で話を聞くと、住民の「被害の記憶」「意識」に違いが…なぜか?
砂防学が専門の、名古屋大学の田中隆文准教授と「忘れてはならない災害の記憶」を考えます。

6月6日放送 三六災害~3年連続の大水害~

あの伊勢湾台風から2年後の昭和36年(1961年)、濃尾平野を再び襲った大水害「三六災害」。
愛知県の旧・尾西市(現・一宮市)は豪雨で小さな河川が氾濫し、あたり一面が浸水。
木曽川を挟んだ対岸の岐阜県羽島市では、住民が力を合わせて、長良川の堤防決壊を防ぎました。
近年、九州で起こった「毎年のような豪雨災害」が再び東海地方を襲う可能性も…その時、私たちは?
土木工学が専門の、名古屋大学の中村晋一郎准教授と三六水害の教訓と、とるべき備えを考えます。

5月2日放送 「七里の渡し」はなぜ海路だったのか

名古屋市熱田区の「宮の渡し公園」は、かつて東海道一の宿場町「宮宿」があった場所です。 ここから三重県の桑名宿までの七里、約27.5キロは東海道唯一の「海路」でした…ではなぜ海路だったのか? 「地震工学」専門の名古屋大学の平井敬助教と周辺を巡ると、熱田区周辺がかつて「海」だったことや、「海抜ゼロメートル地帯の災害リスク」を避けた先人たちの知恵が見えてきました。 南海トラフ巨大地震を見据えて、私たちが住む場所の「歴史」にどう向き合うべきかを考えます。

4月4日放送 濃尾平野で「液状化」を考える

三重県北部から愛知県北西部、岐阜県南西部に続く濃尾平野は、広大な「海抜ゼロメートル」地帯です。
伊勢湾台風など、これまで度々大水害に見舞われましたが、実は、地震の際の「液状化」の被害にも警戒が必要です。
今の三重県桑名市で、1944年の昭和東南海地震で液状化現象を目の当たりにした体験者の貴重な証言とは?
そして、海抜ゼロメートル地帯で愛知県が整備している「最新の防災拠点」の気になる中身とは?
「地盤工学」専門の、名古屋大学の野田利弘教授と濃尾平野の「液状化」リスクと、必要な備えを考えます。

3月4日放送 「災害廃棄物」を考える

22年前の2000年9月、東海地方を襲った「東海豪雨」。
当時まだ耳なじみがなかった「線状降水帯」の発生で、名古屋地方気象台の観測史上最大、1時間97ミリのすさまじい集中豪雨で大きな被害が出ましたが、その記憶の一つが、街中に積まれた「災害廃棄物」。
教訓は、自治体の災害対策にどう生かされているのか。
そして、将来予想される南海トラフ巨大地震ではどれほどの量の災害廃棄物が発生する予測なのか?
名古屋大学の平山修久准教授と旧・西枇杷島町(現・清須市)を歩き、その課題を考えました。

2月4日放送 「昭和東南海地震~半田市の被害~」

78年前の1944年12月7日、太平洋戦争末期に起きた南海トラフ巨大地震「昭和東南海地震」。

津波が三重県南部を襲ったこの地震で最大の死者が出たのは、188人が亡くなった愛知県半田市でした。
そのうち8割にあたる人が、市内にあった軍用機製造工場でレンガ造りの建物が倒壊して亡くなりました。
その時、何があったのか…当時15歳で工場で地震を体験した男性と、あまり残されていなかった体験者の証言を集めた男性を直撃。

耐震工学が専門の名古屋大学・護雅史教授とともに戦時中に起きた昭和東南海地震の教訓について考えます。

1月7日放送 「伊勢市大湊地区の津波被害」

伊勢神宮の海の玄関口・伊勢市大湊地区。
宮川と五十鈴川に挟まれた三角州に広がる町で、繰り返し起きてきた南海トラフ地震で、何度も津波に襲われてきた。

1498年の明応地震では、大湊地区周辺で1000軒の家が流され、5000人が亡くなったという記録が残っている。
大湊地区にある伊勢神宮・外宮の末社「志宝屋(しおや)神社」は、明応地震の津波で社殿が流されたと伝えられている。

また、1854年の安政東海地震では、大湊地区に5メートルを超える津波が押し寄せ、高さ6.3メートルの灯明台も津波で流された。今も灯明台跡には、石の基盤が残り、大湊町振興会が建てた看板も掲げられている。
さらに振興会には、安政東海地震で堤防が壊れた様子を記した貴重な絵図も残されていた。

来るべき南海トラフ巨大地震に備え、伊勢市は、大湊地区など周辺に高い建物がない場所に津波避難タワーなどを建設。市内全域でハード面の整備は完了したという。
今後の課題は、大地震が起きた時、市民に避難行動をとってもらうこと。

市民が避難行動をとれるようになるには、どうすればいいのか?
現地を歩きながら名古屋大学減災連携研究センターの鷺谷威教授と考える。

12月3日放送 「関東大震災と名古屋」

98年前の1923年、首都圏が大地震とその後の火災に襲われ、死者・行方不明者10万5000人あまりを数えた「関東大震災」。
遠く離れた名古屋には、実は関東大震災の犠牲者を慰霊する供養堂や石碑が各所に存在します。
当時の名古屋の人々が、関東大震災の被災者に手を差し伸べ、犠牲者の霊を慰めてきた歴史があるんです。
歴史から地震を学ぶ「歴史地震」の専門家、名古屋大学の武村雅之特任教授と、斉藤初音アナウンサーが、「災害時に地域で助け合うことの大切さ」を考えます。

11月5日放送 「戦争に隠された三河地震」

南海トラフで地震(海溝型地震)が起こる前後は、内陸でも地震活動(直下型地震)が活発になる。
実際、1944年12月7日に起きた昭和東南海地震のおよそ1か月後、1945年1月13日に三河地震が発生した。
どちらの地震も東海地方で大きな被害が出たにも関わらず、戦争中だったためにほとんど報じられていない。
しかし、三河地震を経験した被災者に話を聞くと、今でもその恐ろしさが忘れられないという。
今回は名古屋大学減災連携研究センターの飛田潤センター長と斉藤初音アナウンサーが三河地震の被災地を歩き、今必要な防災対策について考えます。

10月1日放送 「昭和28年台風13号」

68年前の1953年、ちょうど秋分の大潮の満潮時に接近し、愛知県沿岸の広い地域が高潮に襲われた「昭和28年台風13号」。
被害が大きかった西尾市には、在住の漫画家が描いた浸水被害を表した貴重な絵が残されています。
実はこの台風13号、当時の「海側だけ石積み」の堤防が、いまの「海側・天井・陸側すべてコンクリート」の「三面張り」堤防に変わるきっかけになった台風だったんです!
昭和28年台風13号の被害の様子、そして堤防が強化されてその後迎えた「伊勢湾台風」の被害を人々がどう記憶しているのか?
名古屋大学の富田孝史教授と斉藤初音アナウンサーが迫りました!

8月27日放送 「安八水害」

45年前の1976年、台風接近による集中豪雨で岐阜県安八町で長良川堤防が決壊し、岐阜県で死者・行方不明者9人、3500世帯以上が床上浸水した「安八水害」。
しかし当時を知る人によれば、当日は「雨は小康状態だった」とのこと…
大水害につながったワケは、「前日までに上流に降った大雨」でした!
そこで、普段から「上流の天気」に注意を怠らない鵜匠さんを直撃。
一方、一般の住民は「上流の天気」を気にしているのか?
CBCテレビに残る、堤防決壊の映像とともに、「中部地域づくり協会」の犬飼一博さんと斉藤初音アナウンサーが、安八水害から学ぶべき教訓を考えます!

7月29日放送 「濃尾地震」

130年前の1891年、現在の岐阜県本巣市を震源に発生した「濃尾地震」は、死者7000人以上を数えた“日本史上最大”の内陸直下型地震でした。
この時、高さ約6メートルも大地が隆起した根尾谷断層。
そして、完成したばかりの長良川橋梁が崩落した様子を捉えた貴重な写真が、濃尾地震の「規模の大きさ」を今に伝えています。
東海地方に住む私たちが警戒すべきは「南海トラフ巨大地震」の大津波だけではありません。
祖父から地震当日の様子を直接聞いた男性の証言など、地元住民に伝わる濃尾地震の「教訓」とは?
名古屋大学減災連携研究センターの平井敬助教と斉藤初音アナウンサーが、濃尾地震の実像に迫りました!

7月2日放送 「明治29年洪水」

「水の都」と呼ばれる、現在の岐阜県大垣市を中心に、1896年、1年にと2度も水害が起きた「明治29年洪水」。
7月は低気圧、9月は台風による豪雨で堤防が決壊し、多くの建物が軒上浸水。
岐阜県全体で実に200人以上が犠牲になりました。
特に9月には、川からあふれた水が大垣城まで達し、石垣には当時「どこまで水が来たか」を示す線が刻まれています。
大垣のように、低い土地を堤防で囲む「輪中」地域が、なぜ大きな被害を受けたのか?
そして今もその土地で暮らす地元の人たちに、どんな「教訓」が伝わっているのか?
名古屋大学減災連携研究センターの田代喬特任教授と斉藤初音アナウンサーが、気になる「7月の水害」のなぞに迫りました。

6月4日放送 「伊賀上野地震に学ぶ」

1854年に発生した『伊賀上野地震』。
内陸の活断層が動き、最大震度は7。約6000棟の家屋が倒壊し、1300人以上が死亡する大きな被害が出ました。
その被害の痕跡は、今も伊賀上野城の石垣に残っているほか、今回はテレビ初登場の貴重な史料も登場。
それには、城下町のどこで被害が出たのかが克明に記されていました。
しかし、現在伊賀市で暮らす住民の中には、自分たちが住んでいる地域で、かつて大地震が起きたことを知らない人もいます。
名古屋大学減災連携研究センターの菅沼淳特任准教授と斉藤初音アナウンサーが、伊賀上野城を訪ね、
歴史地震を研究している盆野行輝さんと一緒に過去の災害を知ることの大切さを考えます。

4月30日放送 「入鹿切れ~ため池の防災」

1868年(明治元年)、降り続く大雨によって愛知県犬山市の入鹿池の堤防が決壊。
死者941人、負傷者約1500人、家屋の浸水1万1000戸以上と大きな被害が出ました。
「入鹿切れ」と言われる災害で、犬山市内のお寺には、その恐ろしさが書かれた書物も残っています。
ため池の決壊による被害は、10年前の東日本大震災や3年前の西日本豪雨でも発生。
死者も出ていて、決して過去の災害ではありません。
国内最大級の「入鹿池」が決壊した場合、15km以上離れた北名古屋市でも浸水被害が出ると想定されています。

名古屋大学減災連携研究センターの利藤房男特任教授と斉藤初音アナウンサーが、入鹿池とその周辺を歩いて、ため池の防災対策を考えます。

4月2日放送 「清須越~徳川家康に学ぶ事前復興」

今から400年以上前の1610年に始まった清須越。
徳川家康が、家臣の提案を受けて実行したもので、武士はもちろん、刀や鉄砲の職人や商人、さらにお寺や神社まで、およそ6万人が、 それまで尾張の中心だった清須から町ごと名古屋へ引っ越しました。
これは、今「事前復興」と言われている防災対策。
徳川家康は、地震や災害で大きな被害を受ける前に、地盤がいい熱田台地の上に建っていた名古屋城を増築し、街を作ったのです。

名古屋大学減災連携研究センターの福和伸夫教授と斉藤初音アナウンサーが、清洲城とその周辺を歩いて、今につながる防災対策を考えます。

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