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プロ野球のオーナー会議が、オールスターゲームを前に開催された。その席上で、日本野球機構(NPB)に設置されているリプレー検証検討委員会から報告されたのは、米国のMLBが採用している「チャレンジ制度」の日本での導入についてであった。
日本のプロ野球では現在、2010年から本塁打に限ってリプレー検証が、そして去年2016年から本塁でのクロスプレーについてもリプレー検証が採用されている。今回の「日本版チャレンジ」は、この枠をさらに拡げようというもので、本塁以外でのクロスプレーやそれぞれのチームから検証を求めることができるという内容である。早ければ来シーズンからの導入をめざすという報告であった。MLBの場合は、「チャレンジ」用のスタジオをニューヨークに用意し、全米30球場からの映像を一括して管理。専門の審判員が待機して、球場の審判員と連携をしながら検証を進める大がかりなものだ。さて、日本では一体どこまで、それが可能になるのだろうか?
そんな話題が出た月の初め、ひとりの野球人が逝った。上田利治さんである。享年80歳。上田さんを有名にしたのは、何といっても、37歳の若さで監督に就任した阪急ブレーブス(当時)を1975年(昭和50年)からパ・リーグ4連覇させたことだろう。この中には3年連続の日本一が含まれている。「プロ野球の判定」と聞いて思い出すのは1978年の日本シリーズ。上田監督にとっては4年連続の日本一がかかった第7戦の猛抗議だろう。相手はヤクルトスワローズ。当時はまだ日本シリーズがデーゲームだった。1点リードされた6回、ヤクルトの主砲・大杉勝男選手が放ったレフトポール際の打球が本塁打になると、上田監督はベンチを飛び出した。ファウルだと主張し、本塁打判定の取り消しを求める上田監督は守備についていた選手をベンチに引き上げさせ、左翼審判の交代をも求めた。抗議時間は実に1時間19分。結局、判定は覆らず、ゲームは4-0でヤクルトが勝利して、阪急は4年連続の日本一を逃した。それほど重い判定だった。もし、リプレー検証が採用されていたらどうだったのだろうか。
スポーツでの判定というと、もうひとつ思い出すのが大相撲での横綱・北の富士と関脇・貴ノ花(先代)の一番である。上田監督猛抗議の日本シリーズから遡ること6年の1972年(昭和47年)初場所。土俵中央で組んだ二人の力士。北の富士が左からの外掛けに出るが、足腰の強さが並大抵でなかった貴ノ花はそれを残す。すると北の富士は全体重をかけながら今度は右からの外掛けに出る。それを貴ノ花はプロレスのバックドロップよろしく身体を反らせながら投げようとする。北の富士の右手が先に土俵に突き、その後二人は土俵に倒れこんだ。行事軍配は「つき手」で貴ノ花に上がる。しかし物言いがつき、結果は「貴ノ花の体はすでに"死に体"。それをかばった"かばい手"」と軍配が覆り、結果は行事差し違え。北の富士が「浴びせ倒し」で白星を上げたのだった。当時はビデオ判定もなく、こちらも審判員の目だけが決め手だった。
スポーツの世界から曖昧さが消え去っていく。誤審は許されない。しかし、人が人を判定するからこそ、お互いに切磋琢磨があり、そこに血が通うのではないかと思う。シロか?クロか?スポーツ界はその色をさらに鮮明にする道を歩んでいる。(2017/7/20)
【東西南北論説風(1) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】