与那国という島のことを知ったのは、ノンフィクションライター・沢木耕太郎さんの
「視えない共和国」と題した文章だった。
読んだのはもう30年以上前のことだ。
島の人々とのふれあいなど100ページほどのエッセイの中、最も強烈に覚えているのは、天候など条件が良ければ台湾を見ることができるという記述だった・・・
"ひと目でいいから見てみたい。それはぼくが初めてこの眼で見る外国になるはずだった"
※沢木耕太郎(1977)『視えない共和国(『人の砂漠』収録)』(新潮社)
そう、日本にいながら"外国"を見ることができる島、それが与那国島なのである。
沖縄県にある与那国島だが、本島の那覇市とは500キロ以上離れている。
逆に台湾とは約110キロと近い距離にある。
日本の最西端に位置している島。
北朝鮮のミサイル計画によって緊張が走った今年の夏、数年前に訪れた与那国島のことを度々思い出した・・・。
石垣島の空港を飛び立った飛行機は、あっという間に着陸体制に入った。
そして与那国島の東部から海岸沿いの滑走路に滑り込む。
この空港には管制塔がない。
着陸の技は機長の腕次第と島の人は笑った。
晴れていても風が強いと降りることができない場合もあるそうだ。
島内は一周27キロ。
大きな風力発電機がある東崎(あがりざき)。風光明媚な迫力満点の立神岩(たちがみいわ)。大好きだったドラマ『Dr.コトー診療所』のオープンセットにも感激した。
病室からの海の眺めが心を癒す。
たくさんの与那国馬が自由に闊歩している東牧場線、そしてその向こうに広がる太平洋。中でも「日本最西端の碑」がある西崎(いりざき)は素晴らしかった。
たくさんのトンボが飛ぶ中で、東シナ海の美しさに思わず目を細めた。
しかし、雲ひとつない好天にもかかわらず、この日は台湾の島影を見ることはできなかった。
この与那国島に、自衛隊が駐屯してから2年目を迎えた。
私が島を訪れた数年前には、「歓迎!自衛隊」という看板と「自衛隊は来るな!」という看板が島内に混在していた。
この自衛隊の駐屯計画は、2009年(平成21年)に町が防衛大臣に対し「与那国島への陸上自衛隊部隊配置に関する要望」を提出するところからスタートした。
島にある二種類の看板のように意見を二分しながら、2015年(平成27年)2月の住民投票で賛成派が勝利し、去年3月28日、島の南東部に陸上自衛隊「西部方面情報隊与那国沿岸監視隊・第442会計隊」駐屯地が開設されたのだった。
与那国町は大きな問題を抱えていた。
人口減少である。
太平洋戦争後の1947年(昭和22年)には1万2000人いた島民人口も、その後減り続け、2011年(平成23年)には1680人。町の試算では2020年を過ぎると1500人を割り込むと推定されていた。
町はこの時に策定した「第4次総合計画」で5つの新規雇用策(観光・伝統的ものづくり・畜産・農業・水産業)を掲げて、この時点で1800人への回復をめざした。
そんな中で実現した自衛隊の駐屯。自衛隊員とその家族が移り住み、島内人口は今年5月に1726人と増加した。
島の人口減少対策の背中合わせにあるのは防衛問題である。
いわゆる「南西シフト」を考える防衛省は、与那国島に続き、石垣島そして宮古島にも、陸上自衛隊の実戦部隊配置を念頭に置く。
北朝鮮問題の緊張が続く中、先島諸島を舞台にしての防衛問題は、島の人口減少問題とリンクしながら、大きなうねりとなっているように思う。
そして、そのいずれの島も、今なお本島の基地問題に出口が見えない沖縄県、その島々なのである。
「台湾が見えますよ!」。
ホテルスタッフの声に驚いたのは、滞在3日目の夕暮れだった。
急いで西の海に目を凝らす。
その姿は想像をはるかに越えるものだった。
それは「島影」なんてものではなく、「山影」そして「大陸」のような姿だった。
その大きさに圧倒されながら、与那国島が"国境の島"なのだとあらためて思ったことを、今も鮮明に覚えている。
戦後72年。北朝鮮をめぐる世界の緊張の中、島はどんな夏を送ったのだろうか。
【東西南北論説風(7) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
【引用】
※ 沢木耕太郎(1977)『視えない共和国(『人の砂漠』収録)』(新潮社)