一五一会

名古屋のライバル局出身の平岡敏治氏(現ウェブ・ソーシャルメディアプランナー/ライター)が、CBCの制作番組を見て思ったことを自由に書き、約20年前の採用試験において彼を書類選考で落としたCBCに対して、ある種の御礼をするコラムである。

<コラム>お笑い番組の下ネタで起きる笑いの多寡にセクハラの存亡を占う

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<コラム>お笑い番組の下ネタで起きる笑いの多寡にセクハラの存亡を占う
【コラム:ナゴヤ東新町 一五一会】

「え!?行ける系?女で下ネタ、ええで!」

 18日深夜に名古屋のCBCテレビで放送されていた『本能Z』。男女のお笑いコンビによる漫才での一幕である。男性の方が女性の方にこれから下ネタを話すことに対する同意を確認していた。

 M−1王者のとろサーモンさんが注目するコンビということだったが、ニュースやワイドショーで連日のように「セクハラ問題」を扱っているせいか、同じテレビ画面で繰り広げられる漫才ですらその点で気になり、集中して見られない。

 ネタとしては、やる気満々の男性のほうがうまく下ネタを展開できず、それに対して女性がかなりドギツイ助言をして突っ込んでいくというスタイルだった。

 実社会においてこの手の話を特に異性間ですると、完全にセクハラでアウトなものの、そこは漫才のネタ。プロによる創作だから演じる側も見せる側もOKという判断で放送されていたものと思われる。

 しかし、例えば「芸人なので、仕事として下ネタをしゃべっていたけど、本当は恥ずかしくて嫌だった」という内幕話にもハラスメントの対象がきっちり及ぶ昨今。

 そのうちテレビ番組でも「※このネタは芸人の同意を得て放送しています」という注釈スーパーが出るようになるかもしれない。

 セクハラのグレーゾーンと言えば、うちの近所のおばちゃんたちもハンパない。

 午後の割引時間を狙ってスーパーに行き、一人で買い物をしていると、顔見知りだったりそうでもなかったりするおばちゃんに、ちょいちょい話しかけられ、ちょいちょいお触りを受ける。

 売り場で「こっちの小松菜の方が新鮮よ〜」と渡してくれて、手をさわさわっ。

 駐車場で「あら〜素敵な車ね〜」とお褒めいただいて、二の腕をさわさわっ。

 昼間っから買い物かごにエコバッグ入れてスーパーをうろついているメンズはアラフォーと言えど貴重な種のようで、彼女たちはセクハラ発言どころか、いきなり物理で来る。

 しかし不思議なことに、おばちゃんたちが持つ人懐っこさなのかコミュ力の高さなのかは分からないが、嫌な気分はゼロ。定義から言えば、おばちゃんたちはセーフなのである。

 一方、何年も前にお仕事で行った夜のお店で、隣に座った見目麗しき女性が私の太ももにそっと手を置いてきた時には、全身の毛穴という毛穴から吐き気が粒子となって放出されるような嫌な気分がしたので、あれはきっとアウトだ。

 だが、そこは互いにお仕事。古き悪き、我慢の時代であった。

 自分が過去に目にした、公衆の面前でのセクハラやセクハラまがいの行為は、たいていの場合、加害者から言えばコミュニケーションのつもり。その場を盛り上げたり、被害者に見せ場を作ってあげたりするための手段として行われていたように思う。

 何の悪気もなく、むしろ良かれと思ってやるパターンだ。

 結果として、加害者と、加害者のセクハラ行為で笑い盛り上がった共同正犯の傍観者たちが楽しい思いをし、代償として被害者の尊厳が傷つけられたり、一部の同席者に不快な思いをさせたりしていた。

 とは言え、多数の人がそれで喜んでしまう以上、加害者は自分が加害者だと気づくことすらない。場を盛り上げた功労者だと自負し、考え無しに同じことをまた繰り返すのである。

 テレビに話を戻すと、下ネタやあからさまなセクハラを見る機会はだいぶ減った。

 批判の声をあげやすくなった視聴者の存在であったり、それを許さない社会的な風潮に敏感な提供社の影響であったりが大きいのだろう。

 そんな中でも、注目を集めやすいお笑いの大きな賞レースの番組などでは、そちらの意味でギリギリのネタを目にする機会は未だに多い。しかもしっかりウケて笑いをとり、結果を出している芸人さんがいらっしゃるという現実がある。

 お笑いのプロ、テレビのプロからしたら、「下ネタ」はお笑いとしてマスの反応がよく、それを業として追う立場としては依然アリなのだろう。

 世の中からセクハラがなくならない根源的な理由のひとつが、ここに見える。



平岡敏治(ウェブ・ソーシャルメディアプランナー/ライター)(19日19:36)

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