スペシャルドラマ「ガラスの牙」



保護司のモデルとなった大沼えり子さんより


Q:ドラマ化へのご感想は?
Q:保護司の仕事について
Q:自身を演じる高畑淳子さんについて
Q:ドラマの主題歌「花のとなりで」


:ドラマ化へのご感想は?

人間てみんなドラマの中で生きてるじゃない。それぞれがそれぞれの人生の主人公でしょ?たまたま私はその中の一編であるというだけのことだから、取り立てて何かっていうイメージはないの。自分がドラマになるというのは、1億何千万人の中の1人の人間の生き方がドラマになるというだけのことで、特別なことはないかな。私はいつも自然体だし自分の人生を一生懸命生きてるだけ。勿論人のためになれることは大事だけど、私は誰かの役に立ってるなんて思ってはいない。ただ、人の喜ぶ顔や笑顔を見るのが大好きなだけ。保護司もDJもその顔に会いたいが為に一緒に歩いてるだけなの。私の想いが「心に届け。」って願いながら。「いい顔見せて。」って。単純?世話好き?かな?昔から困っている人や苦しんでいる人を見ると放っておけない。今日だって道路の真ん中で自転車に積んだちり紙ごと転んだお爺さんがいて、その脇を避けるように何台もの車が通り過ぎるの。でも、起き上がれないお爺さんを助ける人は一人もいないのね。1人も!私は反対車線にいたんだけど、思わず車止めてお爺さんの所に行ってた。ここからが私なんだけど、お爺さんに向かって「大丈夫ですか?立てます?」まではいい、次に、立ち上がって自転車の高さがどうのと言っているお爺ちゃんに向かって「お爺ちゃん、今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?危ないから早く付いてきて!」って言って、ちり紙片手に自転車を引っ張って歩道まで行き、挙句、「お爺ちゃん、自転車乗ったらだめですよ、引っ張って行って下さいね、いいですか!」そしたらお爺ちゃん「ああ、ああ、分かりました。ありがとう。」って言って自転車引っ張っていきました。これで一安心。いえ、お爺ちゃんからの安心の心を貰っちゃった。と、言う訳。
 私と言う人間はそんな人間です。GIVE and TAKE そしてHEART TO HEART ですよ。
 でも困ったことに、私の世話好きは人には留まりません。捨て犬や捨て猫を見つければ里親探しに何日も奔走し、枯れかけた植物を見れば貰い受けて来る。今や我が家はジャングルと化しています。この性格には自分でもほとほと呆れると言うこともしばしばです。
 人間は生まれた瞬間から死に向かって生きて行くでしょ?私はね、死ぬ時に自分が「生きて来て良かったな、生まれて来て、ああ良かった。沢山の笑顔に合えて、いっぱい嬉しさ貰って、ほんとに良かった。」そう思って自分の人生の最終章を飾りたい。私と共に人生を歩いてきた大沼えり子と言う人間にそう言って人生を終わりたい。そう思ってる。そういう生き方をしてるだけなの。
こんな私だけど、私の生き方がドラマになることで多くの人たちが、世の中にはこういう人間もいて、こういう考え方もあって、普段の生活ではあまり接することのない世界があることに気づいてくれたり、本当は側にあるのに気づかないところで動いてるその世界に目を向けるきっかけになってくれたらいいなと思います。



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:保護司の仕事について

 私みたいな保護司ってあんまり、いえ、ほとんど!いないと思うんです。保護司になる方々は有識者の方が多くて、冷静沈着、威風堂々、泰然自若、且つ判断力に長けており、その時々に合わせて的確な対処をされる方がほとんどなのではないでしょうか?私みたいにドタバタドタバタなんていう保護司は少ないと思います。私、だめなんですよねぇ、頼られると放っておけない。なんか、家族みたいになっちゃうんです。だから、こうなっちゃうんです。ただただ一生懸命。常に孤軍奮闘です。保護司の皆さん、すいません。
 私が保護司になってからというもの、保護観察所はかなり忙しくなったんじゃないかと思います。何故なら私は観察中に、対象者との対応や思いも寄らない出来事に遭遇する度、その対処についてどうしていいのか分からなくなると、すぐに担当監察官にアクセスしてご指導を仰ぎます。始めの頃などは、報告のみならず、対象者とのエピソードやら、警察とのやりとりまで聞いていただいていたんです。そして、自分の考えや対処法が間違ってはいないか、なんてことまで・・・。今になってあの頃のことを振り返ってみると、たぶん監察官はかなり大変だったと思いますよ。それなのに、アクセスする度に「いつも有難うございます。」と丁寧に受け答え下さり、私の考えを後押ししてくれたり、色々ご指導くださいました。観察所の皆さんはやはりすごいんです。こんな訳の分からない私みたいな保護司をちゃんと盛り立てて下さる。ご指導のプロですよ。今回のドラマに関することも相談に乗って頂き、私のような保護司がこのような活動をしていいものかと考えあぐねている私の背中をポーンと押してくださったのは、私の最も頼りにさせて頂いている観察所でした。その上、決まって「先生にはいつもお世話になっております」って言うんです。単に挨拶なのかも知れませんが、私には応えます。だって思いっきりお世話になっているのは、何を隠そう私の方なのですから。こんな私を見捨てることなくご指導くださり、育てて下さっている保護観察所の皆さんには本当に感謝してもし足りません。まだまだまだまだ発展途上で、学ぶことが山ほどの私です。胸を張って「私は保護司です」と言える時はいつになることでしょう。こんな一生懸命だけの頼りない私ですが、対象者がそれでもいいって言ってくれるから保護司させていただいてます。
 このドラマが放映されたことで、同じ保護司の皆さんに失礼に当たらないといいんですけど・・・。きっと私、先輩の保護司の皆さんには呆れられてしまうんじゃないかと思います。でも、寛大な保護司の皆さんですから「こんなだめ保護司がいても仕方ない」と、大きな心で許してくださると信じています。
 私は保護司としては今まで15歳から67歳の対象者までを担当しています。でも、何故か少年が多いですね。私の関わっている少年たちはみんな寂しがり屋なの。皆と同じですよ。でも、特にそういう子供達はナーバスになりやすくて独りぼっちでいるのがいやなの。それは何故かと言うと、家族とか学校とか社会とか、取り巻く環境が自分を受け入れてくれないんじゃないかって。本当はそうじゃないのに愛に見放されちゃっているっていうイメージが強いから、強がって格好つけて肩肘張って頑張っちゃうの。そして同じような仲間が集まることで強い連帯感が生まれるっていう構図が出来てる。でも一人一人接してみれば、みんな純粋過ぎるほどに純粋な甘えっこで寂しがり屋の可愛い子供達だよ。人よりずっと優しかったりするの。独りの寂しさとか虐げられる辛さを誰より知ってるから。だからだと思う。だからね、優しさを上げたらいい。優しくして上げたらいいの。想いのこもった優しさに牙を剥く子供なんか居ませんよ。集団でいると怖いって感じるかもしれないけど、1対1で向き合えばみんないい子たちばかりなの。すごくピュアだしね。私は集団でも全然OK。だって、分かってるから、あの子たちのこと分かってる、と思ってるから。
この職務に就いていて一番嬉しいのは、もちろん対象者が更正してくれること。そして、その子の幸せな笑顔を見られることが私にとって最高のこと。だから、私の方が彼らから沢山の贈り物をもらってるようなもんかな。ドタバタドタバタやりながら、愛をベースに優しさスパイスいっぱいかけて、心の底から「分かれよ、想ってんだよ!」って言えばちゃんと通じる。少年達には絶対通じるから。それが通じないっていうのは他に何か原因があるんじゃない?家庭や環境とか社会とかその他の何か。
 今の時代って、子供達と親や近隣の人ってバラバラでしょ。これが一番悪いと思うね。小さいうちから親が子供達や近所のひとたちと気軽に声を掛け合っていれば、誰が声を掛けたって彼らは睨んだりしないよ。「隣は何をする人ぞ。」じゃだめなんだって思う。もちろん昨今の風潮から察するにその兼ね合いが難しいかもしれないけど。関心を持ってあげて、気軽に「おはよう!」って声かけて、「元気そうだね。」とか「顔色悪いね。大丈夫?」「いってらっしゃい。」や「お帰り。」って言葉をかけるだけで、「あぁ自分を気にしてくれてるんだ。」って思うからまた違ってくると思うよ。それに笑顔がついて来たら完璧!「うっせー!」ってなるまでは暫く掛かるんだから。子供がそうなってしまうまでには経緯があるの。今は家族やその周りの環境をもう一度見直す時代だと思う。
 例えば非行して少年院に入院して本人に刑罰与えても必ず更正するとは限らないの。出院したら大半はまた同じ所に帰らなくちゃいけないんだから。頑張って更生して出院して来たのにやはり家族とうまく行かなかったりする事は凄く多い。そういう場合はその少年の再犯率も高くなってしまう。でもね、彼らにはやっぱり家族が一番大事だと思う。本人たちもそれを求めてるの。少年たちは家族が大好きなの。ほんとに、大好きなの。それを分かってほしいの。ただそれだけなの。だから、私も彼らの家族と泣きながら話し合ったり怒ったり。何とか家族の軌道修正に奔走する訳。もちろん親の方だって一生懸命やってるんだけど、接し方が分からないんだね。家族なのに何で?って不思議だけど、現実、そういうことが多い。
 こんな時、そう思っているのなら「こういえばいいのに!何で?」て思うんだけど、何故か出来ない。そこが一番のネック。だからね、そんな時、 「お母さん、今日は女優になりましょう。普段だったら言えないけど、今日は女優になって『ありがとね』って言ってね。」って言うの。こうして私の魔法にかけちゃう。(笑)すると、結構上手く行ったりするものなのね。
でもね、可哀想な子もいっぱい居るんだよ。当然のことながら、少年院は引受人がいないと出院出来ないの。だから刑期は終わっているのに、その後11ヶ月も少年院に残っている子もいる。
更生して早く出院しようと一生懸命努力して「1ヵ月後に出院が決まりましたよ。」って言われれば喜ぶでしょ!嬉しいでしょ?でも身元引受人がいないから、まだ11ヶ月もいるんだよ!両親が来てくれないの。引き受け拒否をするの。本人もそれだけのことをしてたんだろうし、両親だって大変な目に合ってたんだと思う。だから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけど、本人の「今度こそ!」の頑張りが悲しいかな最早通じなくなってしまっている。これが現実です。でもね、私は声を大にして言いたい、 「あの子は貴方たちの子でしょ?」って。
 実は私には夢があるのね。まだTVドラマでは言ってないんだけど、私、引き受けてもらえない少年たちを引き受ける施設を作りたい。そう、思ってるんです。頑張ってるのに見放されてしまっている子を・・・。そのうちまた家族に戻れると私は信じているけど、それまで故郷に戻れない子供たちの為に、もう一つの心の故郷を作ってあげたいの。ここにも自分の故郷があるんだって。もう1つの故郷みたいな。そこから本当の故郷に帰してあげてもいいしね。その施設が「少年たちの前進のためのステップになれればいいなぁ。」 っていう夢。ただ今その実現に向かって驀進中。



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:自身を演じる高畑淳子さんについて

高畑さんは飾らない部分が非常に私とマッチしてる!体型はかなり違っているけど、何しろ実力派の女優さんで凄く好きです。
私はあまりテレビを見ないんですけど、実はある日、番組で高畑さんがご自分の息子さんに「私こんなお母さんだけど、これからもよろしくお願いします!大好きだからぁ!」って泣きながら訴えていらしたのを娘が見て「お母さんみたいな人がいるよ!!」って教えてくれたんです。何が私みたいなのかなって思ったら、子供のことになると夢中になってしまいテレビを私物化するとかそんな所らしくて(笑)。そんな話を娘としていたら、なんと私の役が高畑さんに決まったって!私は普段テレビを見ないから、今出てる女優さん達の名前は全然知らないの。なのに高畑さんだけは娘とのやりとりがあったから「ああ!あの方だわ!」って。しかも娘が私に似てるって言っていたあの女優さん!信じられない!きっとご縁があるんですね。私なんかよりずーっといい!保護司さん演じてくれると思います。



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:ドラマの主題歌「花のとなりで」

 この曲を主題歌にして頂いたことにお礼を申し上げます。
 ドラマにも出てきますが、私は6年に渡って月に1度少年院に向けての院内DJ放送を、少年院のご協力を頂きながら制作し送り続けています。これは少年院の協力体制がなければ実現不可能です。何かと失敗の多い私なのに、少年院の皆さんはいつも優しく私をサポートしてくれるんです。「これが、少年達を更正に導くんだなぁ」と関心してしまう。少年院の皆さんにはいつもお世話になりっぱなしです。あら、と、言うことは、何処に言ってもお世話になってるのって私なんですよね。ほんとに、ありがたいです。
 この「花のとなりで」はそのDJ放送から生まれました。
 私は2005年のクリスマスに何か特別なクリスマスプレゼントを少年達にあげたい。と思い、思いついたのが音楽でした。この曲を作ってくれた坂本サトルさんは、私の院内放送に録音という形で参加してくれてたんですけど、私の提案をサトルさんに相談した所快諾。この曲が出来たという訳です。コーラスには、私の声掛けに2つ返事で駆けつけてくれた100人の皆さん、そしてボーカルには、サトルさんを筆頭に松本哲也、かおりん、柴ティー、SYINYA、レッドアビ、Rosyが、こちらも進んでの参加(みんなファミリーです)。加えて協賛下さった58の団体、個人の皆さんや、会館上げて協賛の応援を下さった文化会館の皆さん。皆、あたたかな心で繋がっている。この曲はそんな私達の想いがぎゅう詰めの曲です。
 この曲は2005年のクリスマスに「一人ぼっちじゃないんだよ、そんな優しさとぬくもりを届けたくて」とのメッセージを添えて、全国53の少年院に私達からのクリスマスプレゼントとして送らせていただきました。
 ドラマの中にも出てきますが。出院が決まってから11ヶ月、引き受け手がいないためにまだ在院していた少年が「お母さんが好きだから」と言って鉄格子の窓辺に置いた花に水をやっている。そんな少年の心の叫びを歌にしたものです。
 きっと、この曲とドラマがリンクして、ご覧になられた方々の心に私達の想いが届くことと思います。



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