絵灯篭を集めて…宮城県閖上地区の追悼イベント 名古屋から支える女性「忘れない」

絵灯篭を集めて…宮城県閖上地区の追悼イベント 名古屋から支える女性「忘れない」

 毎年3月11日に、宮城県名取市で行われる「なとり・閖上追悼イベント」。
 全国から寄せられた絵灯篭が並べられます。このイベントを愛知県から支える女性を取材しました。

宮城県名取市の閖上地区 住宅街は津波によって押し流された

 宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。
 名取川の河口に位置する閖上は、江戸時代から伊達藩の物流拠点として栄えました。
 ぎっしりと家々が立ち並んでいましたが、2011年3月11日、津波が襲い街は根こそぎ流されました。

 海から300メートル。当時、津波が押し寄せる様子を、非常階段から携帯電話で撮影した男性は…

「びっくりしたのは、波が一直線になっていた。水平線の彼方に、白波がずっと一直線だった。閖上で生きてるのは私だけかもしれないと思いました」(佐々木直哉さん)

 753人の尊い命が失われました。

地元伝統の行事を“追悼イベント”として受け継ぐ名古屋の女性

 閖上では、毎年夏に灯篭流しが行われていました。
 それをヒントに、震災の翌年から始まったのが「絵灯篭」です。
 毎年3月11日に、住民が描いた絵が灯篭に使われ、街を照らします。

 この絵灯篭を使った追悼イベント「なとり・閖上追悼イベント」を遠く離れた名古屋から支えてきた佐宗美智代さん。
 イベントを運営する“なとり復興プロジェクト”のメンバーです。
 なぜ、名古屋に住む佐宗さんが、絵灯篭のイベントに関わっているのでしょうか。

「まさかという感じでした。子どもを育てた第二のふるさとが、街が本当になくなるんですから」(佐宗美智代さん)

 佐宗さんは、夫の転勤で30年前から15年間、閖上のすぐ近くで暮らしていました。
 名古屋に戻ってからも、自身の仕事で名古屋と宮城県を頻繁に往復する生活。

10年前のあの日「午前中はあの場所に…」

 10年前のあの日も、佐宗さんは閖上のすぐそばにいました。

「午前中まで名取市にいた。仕事で、11時26分の新幹線で東京に移動したんです」(佐宗さん)

 間一髪で津波を免れました。
 津波で、多くの友人を失った佐宗さん。
 震災翌年の2012年に、一緒に成人式を迎えるはずだった、娘の親友も亡くなりました。

成人式で配られた“手紙”読み「やらなきゃ」

 震災の翌年に行われた成人式。そこで配られたのは、亡くなった親友の両親が書いた手紙でした。

『娘へ 今日は成人式おめでとう。天国で、ばあちゃん、弘おじさんと祝っているかな。まだまだいろんなことしたかったね。今まで、たくさんの笑顔ありがとう。 おとうさん、おかあさんより』(『新成人に送るメッセージ』より)

 亡くなった娘の気持ちになって書いたメッセージも。

『閖上中学校のみなさん・先生ありがとう 成人式、みんなおめでとう! 成人式、楽しみにしていたのにね。一緒に行きたかったなあ~。悔いのない人生を歩んでいってください。天国から見守っているからね。 かおりんより』(『新成人に送るメッセージ』より一部抜粋)

「“やっぱりやらなきゃ”と思いました。亡くなった子たちを供養するために。これ見た時に、3.11は追悼イベントをやろうと思いました」(佐宗美智代さん)

地元の人の思い「亡くなった人に思いが届けば」

 何か自分にできることはないかと仲間と立ち上げたのが、絵灯篭を並べる追悼イベントだったのです。
 閖上の人たちは、亡くした人たちのことを思い、毎年絵を描きます。

 2月19日、仙台市で絵灯篭の準備が進められていました。
 参加した人は…

「亡くなった人たちに、思いが届けばいいなと思っています」
「津波で2人しかいない親友を2人とも亡くしてしまって、私の思いが届くように毎年作っています。友達に向けて頑張るよと。笑われないように、頑張って生きていこうと思います」

絵灯篭が震災を語り継ぐきっかけに

 一方で、10年が経ち、震災を知らない世代が増えています。
 宮城県名取市の「美田園わかば幼稚園」では、3年前から絵灯篭作りに取り組んでいます。
 園児たちに震災を語り継ぐ場にもなっているのです。

教諭「東日本大震災はいつあったか覚えてる? 3月の…」
園児「11日」
教諭「閖上わかば幼稚園のお友達も、4人亡くなりました。みんなと一緒に遊びたかったと思う。お話たくさんしたかったと思う」

 絵は、閖上だけではなく、今では全国から1万枚集まります。
 そのうち3分の1ほどは、佐宗さんの呼びかけで東海地方の人たちから寄せられるものです。

 佐宗さんの生まれた愛知県江南市。
 この日絵を描いていたグループは、毎年800枚ほど送っていますが、震災から10年が経ち、東海地方からは参加する人も減ってきたといいます。
 佐宗さんが、何よりも防ぎたいのは震災の記憶の風化です。

「絵を描いてもらうことによって、少なくともそれを家族、親から子どもにとか、震災の話をする。そのこと自体が重要だと思います」(佐宗美智代さん)

久しぶりに訪れた閖上 街をみて…「記憶薄れていく」

 2月、佐宗さんは久しぶりに閖上を訪れました。
 宅地は3メートル以上かさ上げされ、新たに10か所の避難所が作られています。

 この日は、復興プロジェクトのメンバーと、閖上地区の一帯を見渡せる、日和山を訪れました。
 街を見て…

「何がどこにあったか思い出せない。だんだん記憶が薄れていく」(佐宗美智代さん)
「全国の皆さんから、絵灯篭の絵をもらっているが、それが少なくなったり、地元でも集めているものが減ることを一番危惧しています」(なとり復興プロジェクト 佐々木悠輔 実行委員長)
「休まず継続することが大事だと思っています」(佐宗美智代さん)

 絵灯篭を続けることは震災を忘れないこと。
 皆の思いが描かれた絵灯篭は、ことしも3月11日に閖上の街を照らします。

(2021年3月9日放送「チャント!」より)