ドラの巻【CBCドラゴンズ情報】

恐竜復権―2018年に向けて始動する中日ドラゴンズをCBCテレビ、CBCラジオではさまざまな番組、企画で特集します!

リリーフエースなくして中日ドラゴンズ明日への浮上なし

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リリーフエースなくして中日ドラゴンズ明日への浮上なし
「セーブ」という記録が日本プロ野球に導入されたのは1974年(昭和49年)のことである。この年、中日ドラゴンズは讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して、20年ぶりのリーグ優勝を果たした。そして、初代のセーブ王(最多セーブ投手)に輝いたのが、ドラゴンズのエースナンバー背番号20を背負っていた星野仙一投手だった。そして当時与那嶺要監督の下で投手陣を仕切っていたのはヘッドコーチも兼任していた近藤貞雄投手コーチ。「投手分業制」すなわち従来の「先発完投」から「先発&抑えリレー」への変革を実行した先駆者だった。今風に言わば「クローザー生みの親」と言えよう。その後1982年(昭和57年)監督として見事にドラゴンズをリーグ優勝に導いた。

現在ドラゴンズは「抑えの切り札」不在に苦しんでいる。
2018年シーズンも前年までに続き田島慎二投手にストッパー役を託したものの、相手チームに度重なる逆転劇をもたらしてその座から降板。中継ぎリリーフ経験の豊富な又吉克樹投手もストッパーには定着せず、「抑えをやりたい」と入団時から意欲を語っていた鈴木博志投手に期待がかかったが、現時点でルーキーの抑え役も成功していない。東京ドームで4点リードしながらも9回裏に大逆転負けした8月19日のゲームは抑え投手陣の惨状を痛々しく浮き彫りにした。ゲームの締めくくりを誰に託すか苦しい模索が続いている。

この40年余りドラゴンズの球団史は、リリーフエースが輝いてきた歴史でもある。
初代セーブ王の星野投手に続き、翌1975年(昭和50年)には鈴木孝政投手が21セーブをあげて、ドラゴンズから2年連続の最多セーブ投手を出した。鈴木孝政投手は3年連続の最多セーブタイトルを取る。
それに続いたのは小松辰雄投手である。「スピードガンの申し子」と呼ばれ、鈴木投手から抑え投手の座を受け継いだ速球王だ。
郭源治投手は星野監督によって先発からリリーフに転向。1988年(昭和63年)には37セーブをあげてMVPにも選ばれた。胴上げゲームを締めてマウンドでぴょんぴょん跳ねて喜びを表した姿が忘れられない。
1990年(平成2年)には与田剛投手、翌1991年には森田幸一投手とルーキーがストッパーを務めた。そしてこの二人はいずれも新人王となった。同じチームから2年連続で新人王が出ることはあっても、どちらも抑え投手だったということはプロ野球史上でも例を見ない。特に与田投手はルーキーとしての開幕戦に登板して球速150キロを披露し、その年は31セーブの堂々たる成績を残した。
「韓国の至宝」と呼ばれた宣銅烈投手は、星野監督らの背番号20を引き継いで抑え投手となり、1999年(平成11年)の胴上げ投手となった。この年にルーキー岩瀬仁紀投手が最優秀中継ぎ投手になっている。未来の“守護神”誕生の兆しはすでに生まれていた。エディ・ギャラード投手は、宣投手の現役引退の後、抑えのマウンドを守った。少しニヒルな顔つきでの熱投はファンの記憶に残っている。


■“守護神”岩瀬の誕生!

そしてドラゴンズに絶対的な抑えのエースが誕生したのが2004年(平成16年)である。落合博満監督によって、中継ぎから抑えへと役割変更された岩瀬投手はその力を遺憾なく発揮する。ピンチでも動じないマウンドさばきと“伝家の宝刀”スライダーはじめ多彩なボール。前年まで通算わずか6セーブだった岩瀬投手だが、その後リリーフエースとして前人未踏の400を超すセーブを積み重ねた。
もうひとり、浅尾拓也投手も忘れられない。岩瀬投手に繋ぐセットアッパーとして、2010年(平成22年)は59、翌2011年には52のホールドポイントを挙げてドラゴンズ初の連覇に貢献した。特にこのシーズンは岩瀬投手に代わってクローザーをまかされた試合も多く、球団初となった連覇の胴上げ投手にもなりMVPにも選ばれた。

その投手が締めのマウンドに上がったら、味方の選手もファンも「勝った」と思い、相手の選手とファンは「負けた」とあきらめる。それこそがリリーフエースの条件であり、真骨頂である。名前を挙げてきたドラゴンズ歴戦の抑え投手たちは誰もがそれに値する投手だった。しかし・・・。
この輝かしいリリーフエースの歴史、それに続く次のページが空白なのである。どこのチームでも抑え投手の存在は大切である。しかし、ドラゴンズにとっては、あえて「別格」と申し上げたい。プロ野球の球団にはそれぞれに歴史があり、それに培われた風土がある。企業に「社風」というものがあるように。それは身売りなどによって親会社が変わろうが、脈々と流れる命脈である。ドラゴンズにとって「リリーフエース」という存在は、その球団史から見ても単なる「抑え役」ではない。チーム作り、そして戦いの根幹に関わる重要な存在なのだ。「中日ドラゴンズ」というチームを貫く屋台骨と言っても過言ではない。

秋季キャンプそして来年の春季キャンプからなどと悠長なことは言わない。ゲームも残り少なくなった今季の戦いの中から、来季こそ球団史に名前を連ねることができる「リリーフエース」を見つけて確立するよう取り組んでほしい。抑えの切り札なくして5年連続Bクラスと低迷を続けるドラゴンズの浮上はないと83年の球団史が語っている。


【東西南北論説風(58)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】(27日10:29)

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