戦争で両親・兄弟を失い…戦災孤児の75年間 今何を伝え残すのか
1945年3月の名古屋大空襲で母親を失い弟と一緒に戦災孤児となった後藤幸夫さん(85)。
駅の待合室でドーナツを、進駐軍にはガムをもらうなど生きるために懸命な日々でした。
当時は名古屋駅や駅西側の神社で寝泊まりをしていましたが、75年目の今年、その神社に行ってみるとリニア工事による移転でほとんど取り壊されていたのです。
歳月の流れで当時の物は次々に姿を消しています。
1945年3月の名古屋大空襲で母親を失い弟と一緒に戦災孤児となった後藤幸夫さん(85)。
駅の待合室でドーナツを、進駐軍にはガムをもらうなど生きるために懸命な日々でした。
当時は名古屋駅や駅西側の神社で寝泊まりをしていましたが、75年目の今年、その神社に行ってみるとリニア工事による移転でほとんど取り壊されていたのです。
歳月の流れで当時の物は次々に姿を消しています。