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あの日あの時CBC!!プレイバックCBC

石油ショックやベトナム戦争 激動の時代のCBC '70年代

 2度の石油危機に直面した70年代。電力制限でテレビの深夜放送も中止になるなど放送業界も少なからず影響を受けた。
 その反面テレビのカラー化は急速な勢いで進み、テレビの広告費が新聞を追い抜き、それまで以上に主要なメディアとなった。世の中の動きが急だった時代のCBCは・・・。

1971年 中国参加の世界卓球選手権大会 テレビ独占中継

世界卓球選手権大会終了後の
テレビ出演。中央が中国の趙団長

 史上最大の43カ国、500人余りの選手が参加した第31回世界卓球選手権大会が、3月28日から12日間にわたり、愛知県体育館で開催された。この大会は文化大革命のため国際舞台から遠ざかっていた中国が6年ぶりに参加し、ピンポン外交の舞台として国際政治の面でも大いに注目された。
 CBCは、大会のテレビ中継について早くから卓球協会と交渉を進めた結果、大会の華、男女団体決勝戦の独占中継権を獲得した。
大会の模様は、開会式の生中継から始まって、期間中のスポーツニュースはもちろん、中国参加による様々なニュースなどをネットで伝えた。
 大会終了後、中国の趙正洪団長らが、中国の大会参加に尽力した後藤ナ二日本卓球協会会長とともにCBCを訪れ、テレビ出演した。この中で趙団長は、アメリカの卓球チームを北京に招待することについて、「アメリカ帝国主義とアメリカ人民とは別である」などと語った。代表団のテレビ出演はCBCのみで、この模様は当日夜に全国放送された。

1974年 名古屋ジャーナリズムの誕生!『CBCニュースワイド』スタート

「ニュースワイド」初代キャスター
日比英一アナ

 10月1日、「CBCニュースワイド」(月〜金曜 午後6時〜6時30分)がスタートした。この後に続く「ニュースコープ」と合わせ、初の1時間の大型報道番組となった。
 従来のストレートニュースからの脱却を図り、小型中継車による生中継を多用した。また映像を工夫し、視覚に訴える編集に力を入れた。また、番組のスタート時に地元ドラゴンズが優勝、親しみを込めた応援番組は番組をいっそうユニークなものにした。
 こうしたテレビニュースの新しい試みは、日がたつにつれてマスコミ各社の注目の的となり、講演依頼や電話による問い合わせなどが少なからずあった。放送評論家の青木貞伸からは、雑誌で「テレビの新しい波・名古屋ジャーナリズムが生まれた」と激賞された。

1974年 「燃えよドラゴンズ!」大ヒット

「燃えよドラゴンズ!」の
レコードジャケット

 この年の9月、ドラゴンズが20年ぶりの優勝へ快進撃を続けるなかで、ラジオの看板番組「ばつぐんジョッキー」では板東英二(月曜)と上岡龍太郎(木曜)が中日、阪神の激烈な舌戦を繰り広げていた。毎週流れる阪神の応援歌「六甲おろし」に悔しい思いをしていた折、安城市出身のシンガーソングライター山本正之から、自作の「燃えよドラゴンズ!」が送られてきた。
 さっそく放送すると大反響。優勝に間に合わせようとスタッフが東奔西走、なんとか難問をクリアして10月5日、東宝レコードから"新人歌手"板東英二が歌う「燃えよドラゴンズ!」が発売された。
 レコードは名古屋地区だけで20万枚を越す大ヒットとなり、その後もシーズンごとに選手名を入れ替えながら、ドラゴンズ応援歌として長く愛されることとなった。

1976年 ラジオ「おはようCBC」新装スタート

レインボースタジオから放送

 CBCラジオの朝の生活情報番組として親しまれてきた「おはようCBC」(月〜金曜 午前7時15分〜9時)の内容を一新、4月12日から、アナウンサーの中島公司がCBCの朝の顔として登場した。
 番組は中島アナを中心に、男女2人のリポーターとアシスタントを配置。社会性のある問題や、季節感あふれる話題を伝えるとともに、これからの生活に役立つ情報を提供した。
"聞いたら他人に話したくなる話題の提供"をコンセプトにしていた。
 中島アナの辛口発言は、次第に共感者を増やし、CBCラジオを代表する番組の一つとして定着。3年という予定を大幅に超えて、'90年4月6日の終了まで14年間の長寿番組となった。

1976年 テレビ「すばらしき仲間」放送開始

 CBC発のネット番組「すばらしき仲間」(日曜 午後10時〜10時30分)の放送が始まった。1回目の出演は藤本義一夫妻と井上ひさし夫妻、舞台は浅草の料亭だった。
 番組の特色は、作家、学者、芸術家をはじめ、政治、経済、スポーツなどあらゆるジャンルの著名人が、企画にも参加し、分野を越えた仲間や夫婦同士で自由に談論するところにあり、司会者やスタジオを使わないというのも画期的であった。
 この番組で、遠藤周作、北杜夫、佐藤愛子の"奇人トリオ"が誕生したり、荒船清十郎元運輸大臣が竹下景子を"息子の嫁にしたい"と言って流行語になったりした。出演者は三笠宮崇仁殿下をはじめ、湯川秀樹、本多宗一郎、エドワード・ケネディ、東山魁夷、小澤征爾ら多方面に及び、テレビ嫌いの人も「すばらしき仲間」だけは、と快く出演していただけた。

1977年 テレビ「土曜9時ハン ただ今参上!」放送開始

「土曜9時ハン ただ今参上!」
生放送風景

 ハンディカメラ1台が、アナウンサー多田成男と一緒に町内を走り回るという、当時としては破天荒な1時間の生放送番組「土曜9時ハン ただ今参上!」(土曜 午前9時30分〜10時25分)が7月にスタートした。
 初めは画面が揺れて見にくいとか、勝手に人の家の台所へ入り込むなんて、という苦情も寄せられた。しかし、あの町この村へ出没し、お宝拝見、町で人気者のお年寄り相手のとんちんかんなインタビューなど、従来のカラを破った番組として各地から「私の町へも是非来て」との声がかかることになった。
 1台のハンディカメラでスタートしたこの番組も、場合によっては3台のカメラを使ったり、飛行船やヘリコプターも中継に参加。のちには衛星中継が可能となり、山間部や離島からも放送するなど、'89年9月30日まで、12年間も続く長寿番組として愛された。

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