星野仙一さんが沖縄とドラゴンズに残した「夢」

北辻利寿

2018年3月 2日

中日ドラゴンズの春季1軍キャンプ地である沖縄県北谷町、役場3階の町長室に「夢」と書かれた色紙が額に入れて飾られている。

今年1月に急逝したドラゴンズの元投手であり元監督の故・星野仙一さんが生前に北谷町に贈ったものだ。

 

ドラゴンズが北谷町をキャンプ地に選んだのは1996年(平成8年)、あれから23回目のキャンプとなった。

同じ沖縄の石川球場などで行っていたキャンプを北谷町に変更したのは、当時2度目の監督に就任したばかりの星野さんだった。

北谷町の人たちにとって星野さんへの思いは格別なもので、今年のキャンプ中は北谷球場入口近くには「星野仙一監督北谷メモリアルブース」が設けられた。北谷町と生前の星野監督の関係を記録した写真パネル24枚が飾られ、キャンプ地を訪れる人たちが次々と足を運んでいた。

 

野国昌春町長は星野監督の思い出について語る・・・。

ドラゴンズの監督を辞めた後、阪神タイガースの監督を経て、星野さんは東北楽天イーグルスの監督に就任した。北谷球場でドラゴンズとのオープン戦が開催された時、相手側3塁側ベンチにいる星野さんに挨拶に行ったら、「町長、ドラゴンズのことをしっかり頼むよ!」と激励されたそうだ。

敵将になってもドラゴンズへの愛を語る、その温かい魅力が忘れられないと、野国町長は懐かしそうに遠くを見つめた。「闘志と優しさの両方を持った人だった」と・・・。

 

北谷球場近くには今年のキャンプに合わせて、常設の投球練習場が新たにお目見えした。

ドラゴンズタウンとしての熱を地元の少年野球の子供たちにも、との願いをこめて町が予算をかけて新設したブルペンである。ドラゴンズ投手陣も連日気持ちよさそうに投げ込みを行なった。

星野さんが北谷町に撒いた"キャンプ地"としての種は、大きく育って花を咲かせ続けている。

 

星野さんがドラゴンズに残した足跡は"キャンプ地"だけではなく"人"に大きく残っている。

人の運命のことなので「100%絶対」と明言できないが、星野さんがドラゴンズの監督をやっていなければ、現在のドラゴンズを率いる森繁和監督、そして小笠原道大2軍監督はドラゴンズでは実現しえなかったと言えよう。その縁の輪の中には、落合博満さんという存在があるのだが・・・。

 

39歳でドラゴンズ監督に就任した星野さんは、1対4という球団史上に残る大トレードによってロッテオリオンズ(当時)から2年連続の三冠王・落合博満選手を獲得した。

その後1993年(平成5年)にFA第1号として讀賣ジャイアンツのユニホームを着た落合さんだが、2003年(平成15年)にドラゴンズの監督に就任、翌年から8シーズン指揮を執りリーグ優勝4回、53年ぶりの日本一、そして8年間すべてAクラスという黄金期を築いた。

星野さんがドラゴンズ監督をしていなければ落合さんとドラゴンズの縁はなかったわけで、監督としてのこの黄金期もなかったかもしれない。この時期に参謀として落合野球を支えたのが森繁和さんだった。

一方、小笠原選手は2013年に讀賣ジャイアンツからFA宣言しドラゴンズに入団。そして2015年の現役引退と共に2軍監督として指導者になるが、この時のGM(ゼネラルマネジャー)が日本ハムファイターズに在籍中に打撃を通して信頼関係を結んだ落合さんだった。星野-落合-森・小笠原の縁が今日に生き続けている。

 

また星野さんは監督時代にその後にドラゴンズの根幹を成した多くの新人選手を入団させている。

新監督としての1986年(昭和61年)ドラフト会議で5球団によるクジ引きに勝って獲得した近藤真一投手(当時)、翌年のドラフトでまたもクジ引きで獲得した立浪和義内野手を筆頭に、福留孝介内野手、岩瀬仁紀投手、川上憲伸投手などを次々と入団させた。

 

忘れてならないのは1983年(昭和58年)ドラフト5位で入団した山本昌投手である。入団からなかなか活躍できなかった山本投手をドジャースに留学させて、セ・リーグ優勝の1988年(昭和63年)シーズン途中に呼び戻して大活躍させた。

50歳まで現役を続け、最年長登板や球団記録219勝の達成など、エースの道を歩んだのも星野さんとの出会いがあったからこそである。

他球団のことを言えば、阪神タイガース時代に広島カープから金本知憲選手を獲得していなければ、現在の金本阪神監督も実現していない。

 

単なる1チームの監督に留まらず、球界全体を見据えて人を活発に動かした星野さんの外交力があったればこそ、結実した果実は枚挙にいとまがない。

有望な新人選手の獲得、そして大胆なトレードも多かった。そこにも色紙に書かれた言葉・・・「夢」があった。

多くの野球人が星野さんを偲び、それを見つめてきた多くのファンが早すぎた死を悼むのは、その足跡の大きさ、そして皆が一緒に「夢」を描くことができたからであろう。

 

北谷町役場ではキャンプ期間中、窓口に立つ職員たちがドラゴンズのユニホーム姿で仕事している。キャンプに訪れるドラゴンズを盛り上げるためである。沖縄の町役場にあふれるドラゴンズブルー。

ナゴヤドームがあるドラゴンズの本拠地・名古屋市の市長は、折りに触れ『燃えよドラゴンズ!』~中日球場バージョン~を独唱するが、竜のホームタウン挙げてドラゴンズを盛り上げるためにも、この北谷町の心意気を参考にしていただいてはいかがだろうか。

 

東西南論説風(34) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】