第272回(9/25)

命を懸けて日本を救った男!北里柴三郎と感染症との戦いパート2

ゲスト 高橋英樹
多岐川裕美
プレゼンター 深沢邦之

ドイツで最先端の医学を学んだ柴三郎は、帰国後日本初の「伝染病研究所」を設立しました。
そんな時、香港で大流行し始めた病気があります。それが「ペスト」です。

ペスト

ペスト菌はもともとネズミの血液の中にあり、ノミを介してペスト菌の血液が人の中に流れ込むことによって感染します。
当時感染すると、9割近くが2〜3日で死に至る、原因不明の恐ろしい病気でした。14世紀ヨーロッパでは死者が2000万人にもおよび、ヨーロッパの人口が3分の1も減ったといわれています。
世界各地で猛威をふるったペストはついに香港でも流行、このときの死者は8万人以上にものぼり、日本への上陸も時間の問題だったのです。
日本政府は柴三郎に、香港へ渡ってペストの研究をするよう命じました。
数名の研究者たちと香港へ渡り、命がけの研究を始めた柴三郎。同行の研究員の一人がペストに感染して亡くなり、再三の帰国要請があったにもかかわらず滞在期間を延長して菌を探し続けました。
そしてペストの原因菌を世界で初めて突き止めた柴三郎。帰国した柴三郎はペストに対する血清を作りました。世界中で多くの死者を出したペストの日本上陸を、柴三郎が食い止めたのです。

結核

1882年、柴三郎の師匠であるコッホ博士が発見した「結核菌」が引き起こす伝染病「結核」。
結核はすぐに感染してすぐに蔓延していくのではなく、少しずつ症状が悪化して死に至る病気で、「慢性伝染病」とも言われています。
工場が近代化した明治時代爆発的に流行し、患者数は当時7万人にも及んでいました。

そんな結核に立ち向かうため、柴三郎は日本で初めての結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」を設立、患者を診る傍ら治療法や予防法について研究しました。
しかし有効な治療法がなかった当時は根拠に乏しいものにすがる人も多かったといいます。
柴三郎は日本人に正しい結核予防の知識を伝えるため、ラジオで講演しました。
柴三郎はそれまでも、絵本やポスター、講演会などを通して結核に対する誤った認識を正し、衛生的な生活を庶民に推奨してきました。
そして当時最新のメディアであったラジオを使って、結核という国民病の撲滅を果たそうとしたのです。
その後、衛生、健康、家庭医学に関する番組がラジオ放送の大きな割合を占めるようになります。

「治療だけではなく、まずは予防が大切である」。現代にも続くこの精神は、北里柴三郎が考える医療のあるべき姿だったのです。