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サンキュー! #1/60 記憶のプレゼント「懐かしの名古屋の蔵出し映像」

2016/07/07

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戦後の復興から高度成長期へ人々の暮らしむきも大きく変貌を遂げた昭和30年代。
この時代の名古屋の映像をひも解いた60サンキュー。
そこには今の名古屋からは想像もつかないあの場所にビルが建っていた!

※2016年6月24日放送『イッポウ』より

戦後復興で注目を集めた名古屋―――

昭和30年代。復興から成長へ、人々の生活も次々と変化し続けた時代
全国一斉にスタートしていた戦災復興事業の中で、名古屋の大規模な都市計画は注目を集めた

「戦争で全部燃えちゃったわけですから、戦災復興で区画整理を一気にやっちゃったと」
そう語るのは、元名古屋市職員で長年都市計画に関わった杉野尚夫さん74歳
今の名古屋を見て・・・

「これだけの空間(久屋大通公園)を作っておいたのは非常に良かったと思う
この久屋大通は名古屋が誇っていい戦災復興の大成果」

久屋大通は昭和24年に整備が始まったのだが
当時の映像の中で、整備中の久屋大通公園が映っていた


昭和34年、テレビ塔から撮影した南側。真ん中には4階建てのビルが建っていた。
公園整備のため、この一帯は更地にしなければならなかったため
このビルも取り壊すのかと思いきや・・・・

なんと、ビルを丸ごと移動させる曳家工法が行われれていた。


当時の様子を知るのがテレビ塔の近くで生まれ育ち
現在も不動産業を営む、浅野彰さん80歳はこう語る。
「これ朝日生命ビルだったかな・・・?
 道路を拡幅しているでしょ?だから邪魔になったのは曳いてる」

曳家工法はとは―――

基礎と建物を切り離し、レールの上にコロとなる鉄の棒を置く。
そして、ワイヤーを引いて、およそ3600トンのビルを丸ごと移動させるというもの

まずは90度回転させ、南に200m引っ張る
その後さらに90度回転させ、2本の道路を横断し東へ80mの移動
全国的にも注目を集めた最新の移転工法だったという

名古屋在住の交通ライターは―――

交通ライター徳田耕一さん63歳。名古屋の鉄道に関する本を多数執筆している。
これまでの名古屋駅をその目で見てきたという徳田さん。
彼にも映像を見てもらった。

「これは中央線。まだ汽車が走ってますね。ちょうど電化工事の前に複線化したんです。
本来なら電車が来るが、とりあえず複線化したので、まだ汽車が走っていたんです。
この複線で蒸気機関車が走っているのは貴重な映像ですね」

いま都市計画に関わっている人は―――

名古屋市の住宅都市局で、まさに今都市計画に関わっている人たち


「街並みが全然違いますね。 建物を壊すにしても、みんなでやっているという“汗"を感じる。
 名古屋の持っている豊かな公共空間という、先人達の残してくれた我々が引継いでいる良さを
 上手く使って町の魅力作りをしていきたいと思う。」

戦後の混乱からいち早く復興し発展を遂げてきた名古屋
当時“滑走路"と揶揄された100m道路2本が生み出した空間は
名古屋市民に潤いを与えていることは間違いない。