| 8月14日(月) |
「スギ、お前フォークボールほうってみんか」1948年・昭和23年1月。 杉下の生涯の師匠となる天知俊一、当時明治大学野球部監督からの思いがけないひとことでした。
「フォークボールってなんですか」
「昔大リーグで、ペノックという投手がほうっていたボールで、ナックルと同じように回転しないボールだ」
身長182cm。手のひらが大きく、指もしなやかで太い。指の力もある。
「お前だったらほうれるんじゃないか」そのひとことでスイッチを押されたように杉下はフォークボールに取り組みます。
とにかく二本の指の間にボールをはさむ。指をフォークのように使うからフォークボール。それしか情報はない。どのようにはさむのか、はさみ方もわからないので、力の入れ方、タイミングが全くわからない。前へ腕を振っているのにボールは後方へすっぽ抜ける。すっぽ抜けてはいかん、と手の振りが速くなるから、ボールはどこへ行くかわからない。
全くの我流ではじめた未知のフォークボール体得。言い出しの天知には、その後中日の技術顧問に就任したため、練習をつけてもらうことができず、途方に暮れた杉下はフォークボールをあきらめようとします。
しかしその時、「スギ、あきらめるな、やれやれ!」とけしかけたのが、二人の明治大学野球部のOBでした。戦前はライオン、戦後の25年には松竹の監督となり、2リーグ制設立後最初の優勝を成し遂げる小西得郎。そしてプロ野球創立と同時に金鯱の監督となった岡田源三郎。いわば、明大の二大元老です。岡田源三郎が、「俺がお前の球を捕ってやる」と自らマスクをかぶりキャッチャーをつとめてくれるという、杉下大感激の猛特訓が功を奏し、次第にフォークボールをものにしていきます。
杉下茂によって、日本で最初に開発されたフォークボール。その魔球は学生時代に編み出され、後に大リーグ・キャンプ留学で完成され、やがてプロ野球界を席巻し、昭和29年、中日を優勝へと導いたのでした。
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